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りそうのせかい改

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「恋」の正体

最初に言います。
これは、恋愛指南書、ではありません。

女性の社会での生きづらさや、幼い頃に誰もが全員親から付けられている心の穴の存在のことや、娘としての母親との関係などを、「自己受容」する術を解きながら倫理学的に深層心理に迫ってくる本です。
そして、それらを通して、恋の正体が浮き彫りになってきます。


大人になっても何故か人を好きになれない、うまくいっている人生のはずなのに何かが違う、親との確執がいまだにしこりになっている・・・など、あらゆる問題で現代社会で生き辛さを感じているすべての女性の問題がズバリ言い当てられたような内容が書かれています。


作者は男性。彼の職業はAV監督。
あらゆる面で驚く1冊です。

と、いうことで、昨日、読み終わった本の記録と感想です。



なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂) 
二村ヒトシ   (著)

私は今、恋愛していません。
過去にも、特には恋も恋愛も体験してきませんでした。
なので、この本のタイトルにあるような「愛してくれない人を好きになった」みたいな体験があるわけでは無いのですね。


でも、この、何となくモテ本とは違う、哲学論に発展しそうな空気を匂わせているタイトルと、女性の生き方問題の第一人者たちが絶賛している店頭のポップを見て、興味を持ちました。


しかし。


まさかその時は、この本の内容がここまで恋愛学から離れて家族との関係や社会の仕組みなどに迫ってくる本だとは思いもしませんでした。


予想をはるかに裏切る内容の厚さに、的を得た言葉。



あぁ、そういうこと!

これが私がずっと感じていた疑問だったし、言葉に出来なかったもやもやだったんだよ!


と叫びたくなるような、共感の嵐。
これが、男性著者(しかもそういう研究者ではなく、AV監督)ということにも驚きですが、当事者の女性でないからこそ客観的に見れたのかもしれませんし、本当によく見てらっしゃる。


凄いです。脱帽です。


いま、何かに悩んでいるひとにも、別に悩みが無くても、誰もが僅かにでも抱えている疑問について触れていて、一度ぜひ見てみて欲しいと思える本でした。



ちなみに、私が超長年、恋愛と言うものを避けて来た本当の理由が、ここにはズバリ書かれていて、これが私が感じていた恋愛の矛盾点だったし、踏み入りたくない理由だったんだよ!
と、思ったと同時に、恋愛の正体がはっきりしたら(仮定でも)、別にそれを恐れず受け入れることも出来るかもしれないな。と思うことも出来ました。


その一つが、このフレーズ。


恋愛は、親子関係のやり直し。


私が、ずっと考えていたことで、恋という感情の正体が、子供の頃、親や保護者に当たる人物に愛されなかった部分を補うために、大人になってから異性の誰かにその愛の補完をしてもらうことが恋愛のような気がしてたのです。


でも、そんなのが恋という感情の正体だと知ってしまったら、相手に失礼だし、何よりそれ(恋)をすることは幼稚だと思うでしょう?


だったら、私の「恋の感情と感覚」は世間様のそれに遠く及ばない。まだ私は本当の意味でそれを理解できるレベルに達していない。(もう30越えてるけど)
と、思っていたけど、この本を読んでこのフレーズを見たとき、「恋愛は、親子関係のやり直しである。」とまで言い切られると、あぁ、そうなんだ。やり直しなんだ。てか、それでいいんだ。これって、ふつうのことだったんだ・・・と思えたのでした。



あと、この本には「心の穴」と「自己受容」という言葉が幾度となく出てきます。


「心の穴」は誰もが全員持って居るもので、これは幼いころ、親や親代わりに育ててくれた人によってもれなく全員が開けられているもの。と定義されています。
心の穴、はトラウマとは違います。
その人の弱さも魅力もその穴から湧いてきていて、恋やセックスはその穴に惹かれ合ったり触れ合ったりすることだと。


「自己受容」は、自分をありのまま受け入れること。
心の穴は、どんなに頑張っても一生埋まることのないもの。それを知って、開き直るのではなく、そのまま受け入れることです。
これが結構、誰でも難しいし、今の現代社会の仕組みでは女性はそれがやりにくく、許されない環境になっている、と著者は説いています。


 


私が、今まで自分に近付いてきた男性陣を一掃してしまっていたのも、この恋と言う感情の原理を何となく知ってしまっていた分、「この人は私を好きになったんじゃない。補いきれない心の穴を補完してくれそうな相手が私だから、それに頼って来ただけなんだ」と思い、しかもそれを隠そうとしている、若しくは自分でも気付いていないその柔らかくて脆い感情を本人たちにズバリ突きつけることによって───つまりは彼らのイタイ部分を突くことによって彼らの優位に立とうとしていたのだ。
と判りました。


勿論それはやさしさでも何でもなく、自分を守るためです。
なんてイヤな女。(笑)


 


興味深い言葉はまだまだ出てきます。
本には、こうも書かれています。


 


恋は、今の自分に満足していない人が無意識の内に他人への欲望と言う形に変換されたものだ。
恋のほんとうの目的は、相手を得ることではなく、自分をわかることにある。


 


この道理が事実なら、わたしや同い年の後輩・ヤーちゃんが恋をしたくならない理由も納得です。(笑)
ある意味、わたしは今の人生に満足しちゃってます。

以前したネットの心理テストでは「あなたは人生の満足度100%! 満足度が満点の人は生きる気力を見失いがちです、気を付けましょう」と出たくらいですからね。(笑)

100点という数字がいい意味だけに使われないことを知った瞬間でしたね、これ!


・・・ちょっと話脱線しましたけど、まぁ要するに、誰かに補完してもらう必要性を感じていないから恋をしたいと思わない、というのであれば、納得です。
しかも、もうこうやってごちゃごちゃ考えることによって、あるていどは自分の事を判った気になっていますからね、わたしは。(笑)


この思考回路が私の感情回路のクセなんだろうな、とも思います。


 


あと、もうひとつ。
どこかに確か、「自分の事を丸ごと受け止めてくれる人が現れたら、喩えその人が受け入れてくれなくても、ラクになれる。」的なフレーズがありました。


 


あ、これ。


これ、私が5、6年前に感じたことと全く同じだ。と思い出しました。


私は、あの出来事があったから、救われたのです。

それまであらゆる面で自分の事が赦せなかったけれど、ちょっと許せるようになった。
彼が、ミケちんが、私の事を受け入れなかったけど、ぜんぶひっくるめて受け止めてくれたから。


あの時はわたしは「自己受容」出来たのだと思います。


あの日、彼ははっきりと言葉に出して言ったのです。
「沢村さんのことは好きです。だから、受け入れることは出来ないけれど、受け止めることはできる」と。
あの時、若干24歳ですよ。たぶん。
彼は、まだ若かったのにもうそのことを判っていたんでしょうか。恐ろしい子!(笑)


ふだん、自分の感情はなるべく口に出さないようにしてる子が言ったから、あぁ、これは本当の気持ちなんだろうな。そこに、嘘偽りはないんだって、判る。と感じました。
彼は、私が掴んだ腕を、振り払おうとはしませんでした。
ただ、されるがままで、じっとしていました。
それは、言葉で言うよりも重く、受け止めてくれている、と感じたのです。そして、受け入れてはくれないんだな、とも判りました。


よく考えたら、これと同じことを、わたしもわたしに関わった男の子たちにしてきました。
わたしも、彼らのことを拒絶したり振り払ったこと無いんですよね。
でもよく考えて。あなた自身が。今後、どうしたいかを。
と、掴まれた腕や押し倒された状態のまま、聞いていたのですよ。


これは、けっこう心理的に堪えます。


 


恋が、無意識の内に心の穴から湧き出た弱さや自分に無いものに反応し、それを相手の心の穴で補おうとする行為なのだとしたら、私が彼に恋心をいま持って居ない理由がはっきりします。


だって、いまのわたしは彼で何かを補おうとは思っていません。
ときめきもドキドキ感も何もなくて、側に居たいわけでもない。
だから、恋とは違う。でも、間違いなく大好きなんです。彼が、独り身の独身でも、喩えば結婚しようとも、誰かに恋していようとも、どんな状態であっても。
それって、受容しているってことに、近いんじゃないかと、思います。


わかりやすく言うと、愛、ですよ。


愛は、なにも恋人や家族や夫婦の間にだけあるものではありません。
当たり前のことだけど。
それがはっきりして、なんだか清々しいです。


 


それを、いつか本人にも伝えたいなぁ、と思います。
わたしに「自分を許すこと」を教えてくれた偉大な彼も、彼自身は自分のことは判らなくてもがいているんですからね。
恋をしたいし、していないという私が彼と一緒に居てもいいなぁという気持ちも理解出来ない、と仰っていました。
伝わるだけうまく言葉に出来る自信は、無いですけどね。


 


そういう意味ではわたしは運が良かったんだと思います。
二十代半ばという、割と早い段階で自分を受け入れてくれるひとに出逢えた。
恋愛はしなかった20代だったけれど、人生で大切なものを人から教われた。
これは、大きな財産です。


いくら口で言っても、こういうのは実体験が無いと真に府に落ちないもんです。
だから私は、身近にそういう異性が居てくれて運が良かったのです。


そういう、いろんなことに気付けた、とても糧になった本でした。



・・・・・



とまあ、非常に感銘を受けた事実はあるわけですが。

たぶん、そう思えるこころの準備と傾向が自分に備わって来たから手に取ったし、読み始めたんだと思います。
その自分の決意や考えの変化を、後押ししてもらうために。


まだ迷っている時期には、自分の中で明確な答えが定まっていない時期には、他人の考えに影響されて混乱したくないですからね。

なんとなく、判って来た時に、自分でその考えが合うか合わないか判断できるようになった時に、後押ししてもらう目的で本を読んでいるような気がします。

いつも。

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