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現場仕事と仲間のこととか、たまにイデオロギー的なことをつれづれに。 読んだ本、すきな音楽やライブのことだとか。 脈絡無く戯言を書き殴る為の、徒然草。

こどもは基本、嫌いな私ですが。~里親研修2回目~

相変わらず多忙な日々を過ごしてます。
2日は会社関連の地域貢献イベント係りで疲れ果て仮眠室で4時間寝て深夜に帰宅。
3日は芝居の稽古の予定が、残業+同期の結婚式サプライズ準備を急遽やることに。(何せ準備時間が1日しかないことが判明!)
4日は休み時間フル活用で同期の結婚式のサプライズ祝電の準備+残業+組合業務ちょこっと+芝居のスタッフさんとの初顔合わせと打合せ。(当然帰宅は深夜回ってから)

そして5日の今日は休みで、里親研修+芝居の音響スタッフさんとの打ち合わせ+芝居の稽古です。

もう体力ないです。
0時前に帰宅してる日がない・・・。明日から少しはマシかな?

で、今日の特記はタイトル通り、研修について。
 
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こんなことを言っては驚かれそうですが、実は私、こどもは嫌いです。
昔からです。
自分が4歳のころから「あー、こんな子供イヤだな。こどもって嫌い。」と、自分も子供のくせに思っていました。
だから、苦手意識があるんでしょうね。
なので決して、こどもズキだから里親になりたいわけではないのです。

自分が里親家庭に育ったけど、自分ならこうして欲しかった!とか、自分はこんな家庭をつくりたい!っていう反発心というか、よく言えば理想が子供のころからありましたので、それを実現したいんでしょうね。

里親家庭に育つこどもみんなが私と同じ気持ちなわけではないですけれど、その点は少しは「お子さんがいないから子育てしたい、引き取りたい」といった感じの人たちとは違う視点なのかなー?と思います。最近。毎回の、研修で会う人たちと話していると。


今年の初めから行きだした里親研修、2回目に行ってきました。
1月に面接、2月に基礎講習会、3月の今日は実習(見学会)です。

どこを見学したかといいますと、児童養護施設と乳児院が併設されている施設なんですが、私は約5年前に別の児童養護施設の見学をボランティア職員希望でしたことがありましたので、自然とそこと比べながら見ていました。
以前に行った施設は100名規模のデカイ場所で、壁や階段や床が学校や病院なんかとおんなじ素材や作りで、いかにも「公共の施設的建物!」感満載でしたけど、今日お邪魔したとこはマンションの一室のような「家」って感じの床や壁紙で、ちょっとホッとしました。
 それでも児童養護施設に初めて入った人から言わすと、家庭っぽい印象は全く受けず、施設だと思った、とおっしゃられていましたが、私はたまたま2か所を見たから言える感想なのかもしれません。
食事を採る場所なんかは特に重要な位置づけで、以前訪問した大規模施設ではいわゆる「食堂」にしか食べる場所もキッチンもなかったんですが、本日お邪魔した中規模施設(約50名前後)のその場所では、食堂を廃止して、各グループ単位の部屋にリビングがあり、そこに給食を運んで食べるスタイルだそうです。
まだ「給食」制なんで栄養士が調理場で作った食事をそれぞれの部屋へ運ぶスタイルですが、ちゃんと各フロアーが普通のマンションのデカイ間取りみたいになっていてキッチンも併設されているので、そこで将来的には調理ができるようにと考えているらしいです。
ここは、とっても感心というか、いい取り組みだなーと思いました。

さて。タイガーマスクさんのランドセルの季節ですが。
やっぱり実際にあったみたいです。ランドセル。
今日も、5歳の女の子がちょうど新品のランドセルを渡されているシーンに施設内で出くわしました。季節を感じます。
児童養護施設という場所は基本18歳(高校卒業)までしかいられないのですが、大学進学が決まった18の男の子と廊下ですれ違いました。
「こんにちはー」と小さな笑顔付きで挨拶してくれて、「部屋、見学させて貰ったよ」って職員さんが言ったら「それ、さっきも聞いたー」って笑ってました。
乳児院の2~3歳の女の子は、部屋に入るなり駆け寄ってきてニコッ!と笑ってくれて、こちらも自然に笑顔で手が振れました。
 
 場合によっては「なんだ、こいつら。人ん家見学してきて」って目で見られてもおかしくないし、挨拶どころか会釈すらしてくんなくてもしょうがないかな。って心構えはありましたが、今日会ったこどもたちは結構みんな挨拶の出来る、「出来た」子たちだったな・・・と感心。
 人懐っこくて、にこにこしていて、久しぶりに単純に、あぁ、こどもってかわいいな。かわいかったんだな。って思いました。

この、「こどもってキライ」ってトゲトゲしている感情が消えてしまったあたりが、自分が年寄になってしまった感があります。(笑)
あと、12年前、18歳のときに、自分はもうほぼ一人前の大人だ。生活費も自分で稼いで資格も取って一人暮らししてる。って思ってたけど、まだ一応こどもでいていいんだな、というか、こどもでもあるんだよな。と改めて思えました。 

だってあの彼は、これからどうやって進学先の大学に通うんでしょうか。
大学生の一人暮らしはたくさんいるけど、それは「実家」と「仕送り」という2大バックボーンがあるから成り立つ保障や安心であって、児童養護施設に通う彼らは18の春が訪れた途端、住む家も国からの援助金も実家的頼れる人も、一切が一気になくなってしまうのです。
「施設」は家じゃないです。職員は春に変わってしまいます。
戻って来ても、知っている人もいない。早く出たかった場所に、できるだけ戻りたくない。
新しい世界で、施設出身の陰を引き摺りたくない。
様々な理由で、戻る場所をなくしてしまうものなのだそうです。

だからそんなとき、里親がいれば実家的役割が果たせるのです。
私も、ほぼ大人になってから、実家的役割の家に出会いました。19歳の時です。
一人暮らしだった。バイト3つの掛け持ちで生活費も稼いでた。酒もタバコもパチンコもやってた。

もう大人のようでいて、でもまだ、子供でした。

謎の奇病で入院したとき、あの人たちがいたから支えになった。

ひとりでいることは、辛くもなんともない。
そういうとき、私がいつも思うのは「ひとりでよかった」という気持ち。
だって、誰にも迷惑をかけなくて済むし、何かあっても誰も悲しまなくて済むんです。
こんなに素晴らしい生き方も早々ないんじゃないかって思う。

でも。

医者から、親からの連絡がないことや同意書にサインをできる人物がいないことに眉を顰められたとき、どんなに微妙な心境になったか。
きっと、経験していないひとには、想像すらできないでしょう。



 
ひとは、誰かに寄りかかりながら、支えあって生きているんです。
決して勘違いしてはいけないことは、「親」はこどもを守ってやって育ててやっているわけじゃない。
親も子も、お互いを支えあって存在しているということ。
どちらかが、一方的に何かを与えているなんて関係は存在しないんだと、私は思っています。
そこには血の繋がりも法律も民法も明確な関係性も関係ない。

だからある意味、親子も対等な立場でいたい。生かしてやっているだとか、食わしてやっているだとか、傲慢な考えは捨てて。

だってあなたが頑張って働いていく大義名分を与えてやっているのは、その他でもない、あなたのこどもなんですよ?
生きてていいって、誰かに必要とされているっていう、この世の中で最強の存在価値を与えてくれているのは、そのこどもなんです。

私たちみたいな、家族もいない独身者には、彼らには感じることのない孤独と絶望の時間が先行く未来にただただ横たわっていることなんて、解らないでしょうけれど。

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