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りそうのせかい改

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イマドキの少年犯罪の手口と、家のない少年たち(本)

私が近頃、長年の構想から重すぎる腰を上げて書き始めたお気に入りの小説作品「カナシミマシン」

どういったストーリーかというと、
小学校高学年ごろから学校に行っていない14歳の家出少年・エンドウが主人公で、暴力と売春と軽犯罪にまみれた生活と、仲間とも友達とも呼べない同士たちとの日常の物語、です。
この話はカンタンに言ってしまうと「不良家出少年たちのアウトローな青春期」。
青春もの・アウトロー・居場所のない孤独感・・・なキーワードが大好物な私の、趣味嗜好を詰め込んだお話なわけですが、いわゆる少年漫画に出てくるような「気持ちよくってかっこいい不良」を書きたいわけではありません。(そういう少年漫画は、それはそれで好物ですが)


昔、私のすぐ隣に居た、友人とも呼べない知人たちの心情と体験を、当時見たTVでやっていた日本のスラム街で暮らす少年たちのドキュメンタリーを重ね合わせながら書けたら、と思い続けていたおはなしなのです。

主人公のエンドウは、チビで女顔で喧嘩が弱くて、いつもへらへら笑っているような男です。
そして、彼ら不良少年たちが暮らすアパートの面子の中では一番年下で一番学のない14歳。
部屋には犯罪業界に片足突っ込んでがっぽり稼いでいる高慢ちきなパク(15)や、触れるものみな破壊する勢いでいかつい顔付きの暴力男シュー(15)や、ギャンブル界で一目置かれている謎多き二枚目のマルさん(17)が住んでいます。
エンドウはそんな中では何もかもが中途半端な存在のはず。やってる金稼ぎはスリや売春。がっつりワルになり切れない、子悪党な、雑魚みたいな感じです。
でも、部屋のまとめ役的存在として書いています。

ここまでは、構想当時の15年前(つまり私が15歳のとき)から決めてた設定です。

で、いま改めてお話をつづるにあたって、新たに考えたことがあります。
それは、エンドウが「部屋の顔」になっている理由。
パクがエンドウを慕う理由、シューが年上なのに弟分に収まっている理由、マルさんが一目置いてくれる理由。
そして、彼らが家を出た、出なければならなかった、本当の理由。

そんな物語の背景を、ノートにつらつらと書き出しながら、彼ら不良少年たちに想いを馳せながら空想しています。今も。




・・・・・



そんなわけで、この本の存在を知って強く惹かれて読み始めました。
ここ半年くらい、私は小説以外のいろんなジャンルの本を読んでいるのですが(小説も読めよ!(笑))、この本はノンフィクションとかドキュメンタリーの類の本だと思います。

先月の半ばごろから読み始めて、昨日読み終えました。
ということで、ちょっと記録を残しておきたくて。↓



「家のない少年たち ~親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル」
鈴木 大介 著
確かに彼らは、生き抜いていた。
詐欺、闇金、美人局、架空請求、強盗――家族や地域から取り残され・虐げられ、居場所を失った少年たちは、底辺の仲間となって社会への「復讐」を開始する。
だが大金を手にしてもなお見つからない、"居場所"。彼らはそれを探し続けるーー。
取材期間10年、語られなかったこの国の最深部を活写する、震撼ノンフィクション。
『モーニング』連載漫画「ギャングース」原案。


この本を読んで一番感じたこと。それは、著者であるライター・鈴木氏の熱い想いです。
彼らのことを、「不良」や「犯罪者」というフィルターではなく、正しく知って欲しい。そして、その背景にある本当の問題に目を向けてほしい。
というような、熱い想いが文章の端々から伝わってきました。

本文中、何度も出てくるフレーズに「犯罪を肯定するつもりはない。彼らは紛れもない犯罪の加害者であり、犯罪が存在する裏側には必ず被害者がいることを忘れてはならない」といった言葉が出てくるのですが、その、著者が本当に伝えたかったことは、充分に伝わってくる本でした。
そして、おそらく「まっとうな大人側」である著者の取材に、なぜ犯罪に両脚を突っ込んでしまっているような少年たちが応じたのか。それはきっと、この著者の熱い想いが彼らに伝わったからだと思います。

この本の中にはあらゆる犯罪市場で暗躍する少年たちや、かつて少年だった若者たちが登場します。
そして、だれもがみな、「居場所」を探しています。
それは、大なり小なり現代人の誰もが一度は悩む悩みと共通していると思います。
何も特別なことなんかじゃない。居場所、帰る場所。それは大人も子供も等しく誰もが一番求めているものだと思います。
そして、被害者のことなんて全然思いやっている余裕もないような彼らが、愛する女性と出会って更生していくパターンも書かれています。
当たり前のことですけど、こういうのは何も物語の中の作り話なんかじゃなくって、ほんとうに起こりうる事実なのですよね。

自分が本当に大事にしたいと思えるものに出会ったとき、人は更生することが出来るんだな。
人間、まだ捨てたもんじゃないな。って思えます。

もちろん、その「愛」に、誰もかれも全員が出会えるわけでは無いのですが。
それでも、この本の中に出てくる少年たちの何人かが、犯罪に手を染めながらも、足を洗ってこの人を幸せにしたい、と思えるような恋や愛に出会えたことは素晴らしいなぁ、と思いました。


・・・ちなみに、この本の大半はこんな生ぬるい美談ばかりを書いているわけではありません。
私が、その部分に感動を覚えた、というだけの話しです。


ところで。
この本の中心に書かれている龍真という少年と、その仲間たち3人がいるのですが。
4人組の犯罪グループのリーダーである龍真はメンバーで一番小柄で喧嘩も強くない。でも彼の口にした言葉は「俺は自分が最弱であることを知っている」というようなことを言うのです。

著者も、ここまで自分のかっこ悪い過去もぜんぶ語ってくれた少年は珍しい、といったようなことを書かれていましたが、龍真の歩んだ人生は世間一般から見れば壮絶で、でも彼ら箱の中の少年たちから見ればありふれていて、そしてまだこっち側の世界に戻れる手綱があったのにその手を振り切って走ってしまったような、そんな少年が書かれています。

彼が「カナシミマシン」のエンドウとちょっとかぶっていてびっくりしました。
え? かぶっているのは4人組の中で一番小柄で喧嘩も弱い人物がリーダー的存在だ、という部分だけですが。(笑)


・・・・・・


私も、過去にいろんな知人・友人からあらゆる「武勇伝とは言えない過去」の話を聞いた経験があります。
彼ら一人一人の人生は、ものがたりとして綴ってしまえば泥沼すぎて、胡散臭くて、真実よりも嘘くさく感じられるような人物ばかりでした。
どうもがいても救いようがなく、世間一般に「戻る」術がなく、世の中は不公平で、この平成の世でこんなに底辺で抜け出す道筋もなく腐敗している人たちがいることなんて、選挙資金を調達できてしまうような政治家には一生伝わらないんだろうな。
なんてことも、しばしば思います。

手の届く範囲のひと、目に映る範囲のひとすら、救うことなんて私にはできません。
でも、話をしてくれた彼らが、私の言葉のどこかに感銘を感じて話してくれたこと。それでお互いの存在意義に意味があったのだということは事実なので、私は彼らと、その事を、忘れないようにこれからも生きて行こうと思います。

腐らずに。

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