2014/06/20 Category : 日々を綴る あたしが持っていない、ごく普通の体験と思い出 今までの人生に悔いはないし、自分の人生をツマラナイと思ったこともない。 ましてや、自分のことを不幸せだとも思っていない。 けど。 あたしは世間一般の人が体験してきたであろう、ちいさな、くだらない、普通の思い出を、あまり持っていない。 喩えば、家族で食事をすること。 初詣や七五三、運動会、外食、テーマパーク、旅行、お出かけ。 家族で過ごした行事は、ひとつもない。 海水浴、キャンプ、卒業旅行や友人との旅行、合コン、ビアガーデン。 抱擁、頭を撫でられること、手を繋ぐこと。 誰かのいちばんになること。 恋人付き合い、愛あるセックス、家族の団欒。 これらは、体験したことがないもの。 今より、何かを求めることは、贅沢ですか。 もう、体験できないことも多い。 過ぎ去ってしまった時は、戻ってこないから。 自分の、家族が欲しかった。 血の繋がりなんてなくっていいから。 あたしを愛してくれているという確信が持てる、あたしだけの大人が欲しかった。 あたしをこの世でいちばんにしてくれる、子供が欲しかった。 感情は、何でつなぎとめればいいの? 気心の知れた「誰か」が、どれかひとつでも、一緒に体験してくれればいいのに。 いまのあたしが手に入れているものは、 ぐらぐらと揺らぐ不安定な正社員という肩書きと、 そこに働く学生ノリの愉快な仲間たちと、 意味のない紙っ切れの国家資格と、 洗面所無し、外置き洗濯場の文化住宅アパートくらい。 これで、じゅうぶんでしょ。 これで、じゅうぶんでしょ。 ひとは、無い物ねだりが得意だから。 ひとは、贅沢な生き物だから。 今以上に何かをほしがる。 奇跡なんて、この世には無いから。 ──愛される日がいつか来るなんて思わない。 楽しい日々は、もう戻ってこないから。 ──会社が無くなってしまったという事実は消えない。 いまを堅実に生きろ。 そうすれば、これ以上は手に入らなくても、これ以下に下がることを食い止めることは出来るかもしれない。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword