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りそうのせかい改

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東京防災、そのとき私は。

東京防災、という分厚い冊子がポストに入っていました。


単行本サイズの本です。
これは、行政が、都民に漏れなく配っている冊子です。
この冊子には、けっこう衝撃的な文章が書かれています。

日本人なら、誰でも一度は耳にしたことのある防災関連の言葉ですが、敢えてこうやって文字にして書かれると、けっこうグサっとくる言葉です。
そして、大地震発生の瞬間の不安を敢えて煽るようなショートまんがも載っていました。
そこに、こう書かれています。

これは、もしもの物語ではない。
近い将来、確実に現実になる物語である。


・・・・・・・・・・。

判ってたよ!
判ってましたよ!私だって来たくて来たんじゃないよ、東京!
なんだ、これが東京なりの歓迎か!!!
みたいな(笑)

いや、けっこう切羽詰まる内容で、本当に永久保存版でしたよ。
普段の防災対策や、起こってしまったときの行動のとり方、その後の生活の再建の仕方など、けっこう真剣にいろいろ書かれています。
まだ全部読んでないけど、これから通勤電車の中などでちょっとずつ読んでいこう、と思いました。



先週も大田区に震度4の地震があった。けっこうビビった。
昨日は職場の避難訓練があった。
これから私が東京に住むのは何年間か?
たぶん、オリンピックまでは居そうだ。
それまでに地震が起きる確率はかなり高そう。
そしてそのとき、きっと私はまだこの独身寮に住んでいるだろう。

冊子には、家族構成別にいろんな行動パターンが書いている。
ひとり暮らしの場合。
健康な家族で住んでいる場合。
要配慮者がいる家族の場合。
高齢者二人暮らしの場合。
外国人居住者の場合。

安否の確認の仕方。連絡を取らなければならない家族。あなたの大切なひと。守るべき人。
そんなことが、幾度となく書かれている。
死に直面したとき、生きる活力になったのは、大切な人の顔が浮かんだ時でした。
そう、体験談は語っている。

たいせつなひと。
連絡を取らなければならない家族。
安否の連絡をしてくるひと。
──ぜんぶ、無い。


・・・・・・わたし、生きる気力ないかも。



今までの人生で、死に直面しかけたことは何度かある。
その時、わたしはいつも一人だったし、敢えて誰にも連絡を取らなかった。
人生最期の接触者になったら、後味悪いだろうな、と思った。
どうでもいいひとたちの顔を、最期に見たくないな、とも思った。
そして、ひとりで119をダイヤルした。


これは、わたしの生き方の報いだ。


誰も、私の交友関係や家族の連絡先を知らない。
会社も、マンションも、保険会社も。どの申し込みにも、実家や親戚の連絡先は書いていない。
友人や親戚の連絡先も書かなかった。
絶対に、どこからも、足が付かない生活をしてきた。
誰にも頼りたくなかったし、誰も信用してなかったし、これ以上孤独になりたくなかった。

友人や親戚が居ないわけじゃない。
でも、彼らには彼らのたいせつで守るべき人がいて、わたしはその中に居ない。
あくまでも、一歩距離を置いた関係なのだ。
都市直下型地震が来たとして、わたしのことをいの一番に思い浮かべる人は、絶対に居ないのを知っている。
死を、看取るような間柄じゃない。

走馬燈で脳裏に過ぎるような、近しい人を作って来なかった。
たいせつなひとを、つくらないようにしてきたわたしの生き方が悪い。


だから、わたしは里親をやっているのかもしれない。
無条件に誰かに頼られることによって、「自分は生きなきゃいけない」と思えるように。
代わりなんていくらだって居たって、子供の頃に関わった大人の存在感は絶大だって、知っているから。

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