2015/09/26 Category : 日々を綴る 東京防災、そのとき私は。 東京防災、という分厚い冊子がポストに入っていました。 単行本サイズの本です。これは、行政が、都民に漏れなく配っている冊子です。この冊子には、けっこう衝撃的な文章が書かれています。日本人なら、誰でも一度は耳にしたことのある防災関連の言葉ですが、敢えてこうやって文字にして書かれると、けっこうグサっとくる言葉です。そして、大地震発生の瞬間の不安を敢えて煽るようなショートまんがも載っていました。そこに、こう書かれています。これは、もしもの物語ではない。近い将来、確実に現実になる物語である。・・・・・・・・・・。判ってたよ!判ってましたよ!私だって来たくて来たんじゃないよ、東京!なんだ、これが東京なりの歓迎か!!!みたいな(笑)いや、けっこう切羽詰まる内容で、本当に永久保存版でしたよ。普段の防災対策や、起こってしまったときの行動のとり方、その後の生活の再建の仕方など、けっこう真剣にいろいろ書かれています。まだ全部読んでないけど、これから通勤電車の中などでちょっとずつ読んでいこう、と思いました。先週も大田区に震度4の地震があった。けっこうビビった。昨日は職場の避難訓練があった。これから私が東京に住むのは何年間か?たぶん、オリンピックまでは居そうだ。それまでに地震が起きる確率はかなり高そう。そしてそのとき、きっと私はまだこの独身寮に住んでいるだろう。冊子には、家族構成別にいろんな行動パターンが書いている。ひとり暮らしの場合。健康な家族で住んでいる場合。要配慮者がいる家族の場合。高齢者二人暮らしの場合。外国人居住者の場合。安否の確認の仕方。連絡を取らなければならない家族。あなたの大切なひと。守るべき人。そんなことが、幾度となく書かれている。死に直面したとき、生きる活力になったのは、大切な人の顔が浮かんだ時でした。そう、体験談は語っている。たいせつなひと。連絡を取らなければならない家族。安否の連絡をしてくるひと。──ぜんぶ、無い。・・・・・・わたし、生きる気力ないかも。今までの人生で、死に直面しかけたことは何度かある。その時、わたしはいつも一人だったし、敢えて誰にも連絡を取らなかった。人生最期の接触者になったら、後味悪いだろうな、と思った。どうでもいいひとたちの顔を、最期に見たくないな、とも思った。そして、ひとりで119をダイヤルした。これは、わたしの生き方の報いだ。誰も、私の交友関係や家族の連絡先を知らない。会社も、マンションも、保険会社も。どの申し込みにも、実家や親戚の連絡先は書いていない。友人や親戚の連絡先も書かなかった。絶対に、どこからも、足が付かない生活をしてきた。誰にも頼りたくなかったし、誰も信用してなかったし、これ以上孤独になりたくなかった。友人や親戚が居ないわけじゃない。でも、彼らには彼らのたいせつで守るべき人がいて、わたしはその中に居ない。あくまでも、一歩距離を置いた関係なのだ。都市直下型地震が来たとして、わたしのことをいの一番に思い浮かべる人は、絶対に居ないのを知っている。死を、看取るような間柄じゃない。走馬燈で脳裏に過ぎるような、近しい人を作って来なかった。たいせつなひとを、つくらないようにしてきたわたしの生き方が悪い。だから、わたしは里親をやっているのかもしれない。無条件に誰かに頼られることによって、「自分は生きなきゃいけない」と思えるように。代わりなんていくらだって居たって、子供の頃に関わった大人の存在感は絶大だって、知っているから。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword