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りそうのせかい改

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こういうちまちました作業大好き★(肩凝ったけど)



5月のお芝居のチケット、完成しました~!emojiemoji

前売り、学割、当日券と、3色で分けてみました。
フリーのソフトでデザインして、家のコピー機で刷って、その後はひたすら家の裁断機でカットしたよ! ちゃんとミシン目付き。
344枚分カットしたよ! 肩凝ったよ!! すごく!

でも、こういうちっさいものちまちま沢山作る作業はけっこう好きです。
人様の劇団のチケットも作るくらいだからね。
ご要望あればいつでもやりますよ~~~

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怪我の功名・・・でも何でもなくって。

たまに怪我しますね。
仕事柄、一般の方よりは怪我しやすいと思うんですが、でも実はそんなにしないんです。
半年に一回くらい。

そりゃそうか。
そんなしょっちゅう怪我してたら10年も続けらんないわな。

ま、そんな話はさておき。

怪我をしたとき、私は怪我の治りを早くするため、傷口を滑らかにします。
つまり、傷をさらに広げます

喩えば今日なんかは、ショップ・エアーのホースの繋ぎ口に勢い余って指詰めちゃって内出血で血豆が出来てたんですが。
気付いてすぐに工場内にある作業用のアルコールを紙ウエスに浸して指とカッターナイフを気持ち消毒し、血豆をサクッ!と切り取りました。
後は2~3回ウエスで傷口を押してやれば中に溜まった血はキレイに全部出ていくので、その後は水で洗い流して絆創膏を貼るだけ★
カンタン、キレイ☆

これ見てびっくりする人多いんですが、これ、絶対オススメだから!
戦時中の田舎療法なのかもしんないけど、マジすぐ治るから!!
ぜひ次回、怪我したときは皆さんやってみて! だまされたと思って!

数年前に交通事故起こした時も、膿が出た傷口をたまたま家にあった医療用スプーンを(何でこんなものがたまたま家に?!)ライターであぶって、ザリザリ傷口をこさぎました。
だって膿そのままにしてたら痕が残るからね! 一生傷痕残るのと、その日一瞬痛いのと、どっちがいいですか?って天秤にかけたら、そりゃあ後者でしょ?

え?
わたし、おかしい?

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こどもは基本、嫌いな私ですが。~里親研修2回目~

相変わらず多忙な日々を過ごしてます。
2日は会社関連の地域貢献イベント係りで疲れ果て仮眠室で4時間寝て深夜に帰宅。
3日は芝居の稽古の予定が、残業+同期の結婚式サプライズ準備を急遽やることに。(何せ準備時間が1日しかないことが判明!)
4日は休み時間フル活用で同期の結婚式のサプライズ祝電の準備+残業+組合業務ちょこっと+芝居のスタッフさんとの初顔合わせと打合せ。(当然帰宅は深夜回ってから)

そして5日の今日は休みで、里親研修+芝居の音響スタッフさんとの打ち合わせ+芝居の稽古です。

もう体力ないです。
0時前に帰宅してる日がない・・・。明日から少しはマシかな?

で、今日の特記はタイトル通り、研修について。
 
* * * * * * * * * * * * * * 
  
こんなことを言っては驚かれそうですが、実は私、こどもは嫌いです。
昔からです。
自分が4歳のころから「あー、こんな子供イヤだな。こどもって嫌い。」と、自分も子供のくせに思っていました。
だから、苦手意識があるんでしょうね。
なので決して、こどもズキだから里親になりたいわけではないのです。

自分が里親家庭に育ったけど、自分ならこうして欲しかった!とか、自分はこんな家庭をつくりたい!っていう反発心というか、よく言えば理想が子供のころからありましたので、それを実現したいんでしょうね。

里親家庭に育つこどもみんなが私と同じ気持ちなわけではないですけれど、その点は少しは「お子さんがいないから子育てしたい、引き取りたい」といった感じの人たちとは違う視点なのかなー?と思います。最近。毎回の、研修で会う人たちと話していると。


今年の初めから行きだした里親研修、2回目に行ってきました。
1月に面接、2月に基礎講習会、3月の今日は実習(見学会)です。

どこを見学したかといいますと、児童養護施設と乳児院が併設されている施設なんですが、私は約5年前に別の児童養護施設の見学をボランティア職員希望でしたことがありましたので、自然とそこと比べながら見ていました。
以前に行った施設は100名規模のデカイ場所で、壁や階段や床が学校や病院なんかとおんなじ素材や作りで、いかにも「公共の施設的建物!」感満載でしたけど、今日お邪魔したとこはマンションの一室のような「家」って感じの床や壁紙で、ちょっとホッとしました。
 それでも児童養護施設に初めて入った人から言わすと、家庭っぽい印象は全く受けず、施設だと思った、とおっしゃられていましたが、私はたまたま2か所を見たから言える感想なのかもしれません。
食事を採る場所なんかは特に重要な位置づけで、以前訪問した大規模施設ではいわゆる「食堂」にしか食べる場所もキッチンもなかったんですが、本日お邪魔した中規模施設(約50名前後)のその場所では、食堂を廃止して、各グループ単位の部屋にリビングがあり、そこに給食を運んで食べるスタイルだそうです。
まだ「給食」制なんで栄養士が調理場で作った食事をそれぞれの部屋へ運ぶスタイルですが、ちゃんと各フロアーが普通のマンションのデカイ間取りみたいになっていてキッチンも併設されているので、そこで将来的には調理ができるようにと考えているらしいです。
ここは、とっても感心というか、いい取り組みだなーと思いました。

さて。タイガーマスクさんのランドセルの季節ですが。
やっぱり実際にあったみたいです。ランドセル。
今日も、5歳の女の子がちょうど新品のランドセルを渡されているシーンに施設内で出くわしました。季節を感じます。
児童養護施設という場所は基本18歳(高校卒業)までしかいられないのですが、大学進学が決まった18の男の子と廊下ですれ違いました。
「こんにちはー」と小さな笑顔付きで挨拶してくれて、「部屋、見学させて貰ったよ」って職員さんが言ったら「それ、さっきも聞いたー」って笑ってました。
乳児院の2~3歳の女の子は、部屋に入るなり駆け寄ってきてニコッ!と笑ってくれて、こちらも自然に笑顔で手が振れました。
 
 場合によっては「なんだ、こいつら。人ん家見学してきて」って目で見られてもおかしくないし、挨拶どころか会釈すらしてくんなくてもしょうがないかな。って心構えはありましたが、今日会ったこどもたちは結構みんな挨拶の出来る、「出来た」子たちだったな・・・と感心。
 人懐っこくて、にこにこしていて、久しぶりに単純に、あぁ、こどもってかわいいな。かわいかったんだな。って思いました。

この、「こどもってキライ」ってトゲトゲしている感情が消えてしまったあたりが、自分が年寄になってしまった感があります。(笑)
あと、12年前、18歳のときに、自分はもうほぼ一人前の大人だ。生活費も自分で稼いで資格も取って一人暮らししてる。って思ってたけど、まだ一応こどもでいていいんだな、というか、こどもでもあるんだよな。と改めて思えました。 

だってあの彼は、これからどうやって進学先の大学に通うんでしょうか。
大学生の一人暮らしはたくさんいるけど、それは「実家」と「仕送り」という2大バックボーンがあるから成り立つ保障や安心であって、児童養護施設に通う彼らは18の春が訪れた途端、住む家も国からの援助金も実家的頼れる人も、一切が一気になくなってしまうのです。
「施設」は家じゃないです。職員は春に変わってしまいます。
戻って来ても、知っている人もいない。早く出たかった場所に、できるだけ戻りたくない。
新しい世界で、施設出身の陰を引き摺りたくない。
様々な理由で、戻る場所をなくしてしまうものなのだそうです。

だからそんなとき、里親がいれば実家的役割が果たせるのです。
私も、ほぼ大人になってから、実家的役割の家に出会いました。19歳の時です。
一人暮らしだった。バイト3つの掛け持ちで生活費も稼いでた。酒もタバコもパチンコもやってた。

もう大人のようでいて、でもまだ、子供でした。

謎の奇病で入院したとき、あの人たちがいたから支えになった。

ひとりでいることは、辛くもなんともない。
そういうとき、私がいつも思うのは「ひとりでよかった」という気持ち。
だって、誰にも迷惑をかけなくて済むし、何かあっても誰も悲しまなくて済むんです。
こんなに素晴らしい生き方も早々ないんじゃないかって思う。

でも。

医者から、親からの連絡がないことや同意書にサインをできる人物がいないことに眉を顰められたとき、どんなに微妙な心境になったか。
きっと、経験していないひとには、想像すらできないでしょう。



 
ひとは、誰かに寄りかかりながら、支えあって生きているんです。
決して勘違いしてはいけないことは、「親」はこどもを守ってやって育ててやっているわけじゃない。
親も子も、お互いを支えあって存在しているということ。
どちらかが、一方的に何かを与えているなんて関係は存在しないんだと、私は思っています。
そこには血の繋がりも法律も民法も明確な関係性も関係ない。

だからある意味、親子も対等な立場でいたい。生かしてやっているだとか、食わしてやっているだとか、傲慢な考えは捨てて。

だってあなたが頑張って働いていく大義名分を与えてやっているのは、その他でもない、あなたのこどもなんですよ?
生きてていいって、誰かに必要とされているっていう、この世の中で最強の存在価値を与えてくれているのは、そのこどもなんです。

私たちみたいな、家族もいない独身者には、彼らには感じることのない孤独と絶望の時間が先行く未来にただただ横たわっていることなんて、解らないでしょうけれど。

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「三月のうた~たとえ胸のキズが傷んでも~」

今日、友人の出演するお芝居を観てきました。
 
 きゃらふるワンダーランド 第四回公演
「三月のうた~たとえ胸のキズが傷んでも~」


です。
劇場ではなく、会社の事務所の講堂?みたいな場所での公演なので、「大人の学芸会」って雰囲気もあるのですが、歌ありダンス有り泣きあり笑いありで、なかなか楽しめました!

歌は、中島みゆきの歌がふんだんに取り入れられていて、レトロズキのサワムラとしては昭和臭い感じが好みにマッチしました。演出家さんと歌の趣味が合うってことでしょうか?
サワムラが主催でした芝居でも、挿入歌は基本昭和でしたからね。
ちょっとピックアップしてみると、

・大西ユカリと新世界「恋のゴーカート」「恋の味」
・The Stylistics「Can't Give You Anything (But My Love)」
・田代美代子&マヒナスターズ「愛して愛して愛しちゃたのよ」
・ノーランズ「恋のハッピー・デート」
・内山田洋とクール・ファイブ「東京砂漠」

を使いましたからね。(笑)
来場したご年配のお客さんの感想にも、「選曲の懐かしさにびっくり!」とか書かれました。
ニヤリです。

本日のお芝居は、設定が「あ、設定で感動狙ってきたな!」って思う部分があったのですが、それを忘れさせてくれる笑いとダンスと歌が適度に取り入れられていたので、最終的にはあまり気になりませんでした。

でも、思うのですが。
今日の芝居に限らず、少女&少年漫画や、ドラマや、映画にありがちな「主人公には両親がいない陰ある不幸設定」

あれ、なんなんでしょうか?
ものがたりって、多少作者の履歴が反映されることもあると思うのですが、そうしたら小説家や漫画家の多くは養護施設出身者ってことなんですか?
ってなりますよね。

そして例に漏れず私もそういう設定の話はたぶんよく書きますが(5月公演の話にも多少取り入れられていますが)、たぶん見に来る人、または読者の大半はそういう人生を歩んできていないので、感情移入がしにくいのでは?と思ってしまい、私は主人公に充てる人物は「普通の家庭で育ってきた人」を持ってくることが多いです。

でも、それは想像でしかないんですよね。ある意味、理想だったりします。
だって私はたぶん、その、物語の設定にありがちな人生を歩んできていますから。

でも、それを持ち出すと「狙ってきてる」と思われたら癪なんで、主役には持ってこないようにしています。悪あがきですが。

私の好きな方にグ・スーヨン監督がいるのですが、この人も物語の主人公はだいたい在日の少年を持ってきています。
「もう在日問題は流行んないよ?」って言われるらしいですが、グーさんもそういう問題ではないんだと思います。流行る・流行らないとかじゃなくて、自分が書きたいこと、もっと言うと、訴えたいことを書いてるんだと思います。

私もそうです。

だれも読まないかもしれない、素人の物書きですが、やっぱり書きたいことを書きます。


だから私の物語の中には、「家庭に問題を抱えた人物」と「在日コリアン」と「普通の日々の仕合わせ」が高い頻度で出てきます。
だって私は、里親の元で育った、コリアンタウン出身の、普通の人、だからです。


「真のやさしさを知っているということは、痛みを知っていることだとあたしは思う。」
(家庭に問題=主人公、在日=会社の後輩チェ・テウ、普通=主人公とその周り)

とか

「神待ちガールフレンズ」
(家庭に問題=ヒロイン青、在日=主人公 オ・テシン、普通=周り)

とか

「明日も太陽はきらきら (本日も、晴天なり)」
(家庭に問題=常連客の友人と兄貴、在日=友人、普通=主人公)

とか

5月公演のお芝居「さようなら、同居人」も、
(家庭に問題=キーマン・野添、在日=主人公イム・ウォン、普通=主人公と周り)

とかは、まさにその典型です。
問題を主人公に近付けられたのも、年をいった最近からです。
若いころは(10代とか)、主人公はなるだけ普通の人にしてました。
勇気がなかったのかもしれません。


そんなことを考えた、今日のお芝居でした。

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先輩の送別会でマジキレする最悪な後輩とは、この私です。

最悪です。
またやっちゃいました。
最近、キレやすいというか、ものすごいストレスが溜まっています。
ちょっと火種があったら、すぐ発火します。
そしてお酒というアイテムは最悪です。

酒好きな私としては、お酒は楽しくおいしく気持ちよく飲みたい!
でも、いまウチの部署の人間が集まっている飲み会に行くともうダメです。
日頃のストレスがぶちまかれてしまいます。
(そんなにストレス溜まってるの?!)

本日退職される先輩も、かなり癒しの存在でした。
喋ってて、ウラなんて読まなく済む、数少ない人間のひとりでした。
そんな人がまた一人職場からいなくなって、ギスギスするのは、耐え難い苦痛です。

そんな送別会という名の飲み会に、私と同じ現場によくなるM課の後輩・ミケが数少ない他部署の人間としてひとり出席していました。

なぜ?!

です。
私はC課のくせに主に仲いい人はM課なもんで、よくM課の集まりには顔を出しているためミケともよく会いますが、孤立してる我がC課に他部署の人間が来るなんて珍しい。
しかも、接点ほとんどないミケが?!
と、ただただ驚くばかり。

しかも例のごとく、組合のミーティングをやってから若干遅れて行った私と、店の入り口でばったり。

お前はまた遅刻か!!!

そして、集合時間守ってないのになんでまた店入る前に出くわして一緒に入店?!
これ、後輩の結婚式二次会でも、年越し飲み会でも、同期の送別会でも、他部署の後輩とのただの飲み会でも、全部ぜんぶ同じことやったよね?!

なんでこんなに遅刻でタイミング合わしてくるの?!(←当然意図的ではない)
どんだけ気が合うの?!
普段連絡も取りもしないのに!!!

と、突っ込みたい気持ちをぐっと押し殺し、胸の内で百万回くらいツッコミ入れました・・・。


1年前に辞めた弟子も顔を出していて、実は同期のミケとふたり、間に私を挟んで、何とも可愛らしい会話を繰り広げていました。

「ミケとまともに喋ったん、初めてやんな。俺、ほんまはお前と仲良くしたかってん・・・!同期なんやからさ!」
「実はオレも!」

なにこれ。

青春?社交辞令?本音??
ライバル心の強い弟子は、エリート街道を進むM課の同期には同僚時代は見栄張って仲良く喋れなかった、ってことでしょうか?
確かに、私と弟子とミケはずっと同じ現場で育って来ていたのに。
ミケと弟子がまともに喋ってる姿を見たのはこの日が初めてでした。
8年越しの会話です。
なんか、ほほえましい。

でも生粋の大阪人の弟子は見事にオチを付けていきました。
「で。お前、サワムラさんとはどこまで行ってるん?」
「・・・・・・・。」
ミケ、唖然。固まってました。
弟子がそういうキャラだと認識がたぶんなかったんでしょうね。
誰彼かまわずそういう話題に持っていこうとする弟子なんで、別段、私とミケの仲を疑ったわけでは全くないんですが、普段M課ではさんざんいじられてる私とミケのこと。
彼は過剰に反応しちゃってました。
・・・それじゃあ逆に、社内恋愛隠してるカップルみたいじゃん。
悲しいくらいなんもないのに。(笑)

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