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りそうのせかい改

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50歳の青春

東京来てから、通勤が単車ではなく電車+バスに変わったので、貴重な「読書の時間」が確保されるようになりました。

これがなかなか楽しみでして。


転勤してまだ1ヶ月半ですが、けっこういろんな本を読みましたよ。
乗車時間は行き帰り合わせても20分足らずですが、これだけあれば割とたくさん読めますし、かなり気になる本の時は、休憩時間を使って読み進めていたりもします。


ちなみに私は戯曲や小説などの創作物語を自身で書いているくせに、読む本はほぼ小説ではありません。(笑)


今年の初めあたりから、自分の中での数年ぶりの読書熱が再点火しいろいろ読んでますが、小説は2冊程度・・・。
後はだいたい、実用書の類ですね。
片付け関連、朝活、仕事の効率を上げる本、手帖を手作りする本、少年犯罪、親子関係修復の本、子育て法、超勉強法、人生設計、終活に近いやつとか・・・・・そういう類の本を、1ジャンルにつき5冊くらいのペースで読んでいます。


会社でも、本を読むという話になると「どんな本読まれるんですか?」と聞かれますが、あれって何故か小説を前提として聞いてくる方、多いですよね?
みなさんも、経験無いですか?
「ジャンルは何? ミステリー?」みたいな感じで、ハナから小説と決めつけ系で。(笑)
あれ、何故でしょう。
小説読んでる人の方が、読書家の中ではポピュラーなんでしょうか。


「あ・・・小説はあまり読まないんです」と答えた後、じゃあ何読んでるの?と聞かれたら、うまく答えられなくて結構困ります。
実用書系です、片付けの本とか勉強法の本とか・・・と言って、お茶を濁します。


 


そんな中で、きょう読んだ本は、数年前に本屋で見かけて気になってた本。
昨日、古本屋で見つけたので買って読みました。


ソープランドでボーイをしていました
玉井 次郎 (著)

これは、筆者・玉井さんの体験談の本。


中年になって株にはまり家族に内緒で会社を辞めて投資家になるも2年で失敗し、更にそのあと東日本大震災で職を完全に失い、家のローンだけが残ったときに、月給の高いソープのボーイの求人広告を見て上京し、同僚と同居の寮に住み込みで始めた50歳の新人の物語です。

上下関係に厳しく、だいぶん年下の先輩に理不尽に怒鳴られたり、中年でなくてもキツすぎる労働条件の職場のこと、そんな中で優しくしてくれる泡姫、同居人でもある同僚との家での小宴会、帰省時に再確認した奥様との愛・・・・・など、読み応えのあるエピソード満載です。


ソープの話しですが、主役の目線はボーイなので特にエロや下世話な話は出てきません。


ご本人も最後に「青春」という言葉を使っていますが、まさに納得の内容です。
いくつになっても学べることはあるし、人生のどん底に思えてもやり直しはきく。
そう、思わせてくれる、明るい良書でした。



・・・・・


他人の人生を覗き見るのは興味深くて面白いものですが、私はこのタイトルを見た時にふっと思い出したことがありまして。


わたしの人生に結構な衝撃を残してくれた、学生時代のバイト仲間・同い年の後輩イシハラくん。
彼のことを思い出しました。


イシハラくんは当時私と同じハタチ。
中学卒業してから一家の大黒柱として働いていて、でも職を転々としていたときに、つなぎのバイトでうちの店(コンビニ)に入って来た子でした。
やんちゃな雰囲気だけど、礼儀正しくて黒髪の青年。
バイトに入った経緯は、既にウチの店のバイトで入ってた人からの紹介ということだったのですが、年の違う彼らの共通点は雀荘仲間として知り合ったということ。


イシハラくんは麻雀がてんで弱くてぜんぜん勝てないのに、いつも仲間内に居るらしいです。
でもパチスロでは割と出していて、1日で24万円も勝っている日もありました。


コンビニ在籍中に母を自殺で亡くし、喪主で葬儀をあげたあと遅れて仕事に来たときはびっくりして掛ける言葉もありませんでした。


いつも感情を見せず、人懐っこい愛想のいい顔で真面目に働いていた彼。


職が決まってつなぎのバイトだったコンビニを去った彼ですが、半年後くらいに風の噂でイシハラくんがソープのボーイをしていると聞きました。


その事を、思い出したのでした。


 


イシハラくんは、元気かなぁ。
結婚して、子供がいて、家族で仕合わせにやっていればいいなぁ。


 


ソープには、泡姫もボーイも、事情ありな人が集まっているんですね。

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「恋」の正体

最初に言います。
これは、恋愛指南書、ではありません。

女性の社会での生きづらさや、幼い頃に誰もが全員親から付けられている心の穴の存在のことや、娘としての母親との関係などを、「自己受容」する術を解きながら倫理学的に深層心理に迫ってくる本です。
そして、それらを通して、恋の正体が浮き彫りになってきます。


大人になっても何故か人を好きになれない、うまくいっている人生のはずなのに何かが違う、親との確執がいまだにしこりになっている・・・など、あらゆる問題で現代社会で生き辛さを感じているすべての女性の問題がズバリ言い当てられたような内容が書かれています。


作者は男性。彼の職業はAV監督。
あらゆる面で驚く1冊です。

と、いうことで、昨日、読み終わった本の記録と感想です。



なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂) 
二村ヒトシ   (著)

私は今、恋愛していません。
過去にも、特には恋も恋愛も体験してきませんでした。
なので、この本のタイトルにあるような「愛してくれない人を好きになった」みたいな体験があるわけでは無いのですね。


でも、この、何となくモテ本とは違う、哲学論に発展しそうな空気を匂わせているタイトルと、女性の生き方問題の第一人者たちが絶賛している店頭のポップを見て、興味を持ちました。


しかし。


まさかその時は、この本の内容がここまで恋愛学から離れて家族との関係や社会の仕組みなどに迫ってくる本だとは思いもしませんでした。


予想をはるかに裏切る内容の厚さに、的を得た言葉。



あぁ、そういうこと!

これが私がずっと感じていた疑問だったし、言葉に出来なかったもやもやだったんだよ!


と叫びたくなるような、共感の嵐。
これが、男性著者(しかもそういう研究者ではなく、AV監督)ということにも驚きですが、当事者の女性でないからこそ客観的に見れたのかもしれませんし、本当によく見てらっしゃる。


凄いです。脱帽です。


いま、何かに悩んでいるひとにも、別に悩みが無くても、誰もが僅かにでも抱えている疑問について触れていて、一度ぜひ見てみて欲しいと思える本でした。



ちなみに、私が超長年、恋愛と言うものを避けて来た本当の理由が、ここにはズバリ書かれていて、これが私が感じていた恋愛の矛盾点だったし、踏み入りたくない理由だったんだよ!
と、思ったと同時に、恋愛の正体がはっきりしたら(仮定でも)、別にそれを恐れず受け入れることも出来るかもしれないな。と思うことも出来ました。


その一つが、このフレーズ。


恋愛は、親子関係のやり直し。


私が、ずっと考えていたことで、恋という感情の正体が、子供の頃、親や保護者に当たる人物に愛されなかった部分を補うために、大人になってから異性の誰かにその愛の補完をしてもらうことが恋愛のような気がしてたのです。


でも、そんなのが恋という感情の正体だと知ってしまったら、相手に失礼だし、何よりそれ(恋)をすることは幼稚だと思うでしょう?


だったら、私の「恋の感情と感覚」は世間様のそれに遠く及ばない。まだ私は本当の意味でそれを理解できるレベルに達していない。(もう30越えてるけど)
と、思っていたけど、この本を読んでこのフレーズを見たとき、「恋愛は、親子関係のやり直しである。」とまで言い切られると、あぁ、そうなんだ。やり直しなんだ。てか、それでいいんだ。これって、ふつうのことだったんだ・・・と思えたのでした。



あと、この本には「心の穴」と「自己受容」という言葉が幾度となく出てきます。


「心の穴」は誰もが全員持って居るもので、これは幼いころ、親や親代わりに育ててくれた人によってもれなく全員が開けられているもの。と定義されています。
心の穴、はトラウマとは違います。
その人の弱さも魅力もその穴から湧いてきていて、恋やセックスはその穴に惹かれ合ったり触れ合ったりすることだと。


「自己受容」は、自分をありのまま受け入れること。
心の穴は、どんなに頑張っても一生埋まることのないもの。それを知って、開き直るのではなく、そのまま受け入れることです。
これが結構、誰でも難しいし、今の現代社会の仕組みでは女性はそれがやりにくく、許されない環境になっている、と著者は説いています。


 


私が、今まで自分に近付いてきた男性陣を一掃してしまっていたのも、この恋と言う感情の原理を何となく知ってしまっていた分、「この人は私を好きになったんじゃない。補いきれない心の穴を補完してくれそうな相手が私だから、それに頼って来ただけなんだ」と思い、しかもそれを隠そうとしている、若しくは自分でも気付いていないその柔らかくて脆い感情を本人たちにズバリ突きつけることによって───つまりは彼らのイタイ部分を突くことによって彼らの優位に立とうとしていたのだ。
と判りました。


勿論それはやさしさでも何でもなく、自分を守るためです。
なんてイヤな女。(笑)


 


興味深い言葉はまだまだ出てきます。
本には、こうも書かれています。


 


恋は、今の自分に満足していない人が無意識の内に他人への欲望と言う形に変換されたものだ。
恋のほんとうの目的は、相手を得ることではなく、自分をわかることにある。


 


この道理が事実なら、わたしや同い年の後輩・ヤーちゃんが恋をしたくならない理由も納得です。(笑)
ある意味、わたしは今の人生に満足しちゃってます。

以前したネットの心理テストでは「あなたは人生の満足度100%! 満足度が満点の人は生きる気力を見失いがちです、気を付けましょう」と出たくらいですからね。(笑)

100点という数字がいい意味だけに使われないことを知った瞬間でしたね、これ!


・・・ちょっと話脱線しましたけど、まぁ要するに、誰かに補完してもらう必要性を感じていないから恋をしたいと思わない、というのであれば、納得です。
しかも、もうこうやってごちゃごちゃ考えることによって、あるていどは自分の事を判った気になっていますからね、わたしは。(笑)


この思考回路が私の感情回路のクセなんだろうな、とも思います。


 


あと、もうひとつ。
どこかに確か、「自分の事を丸ごと受け止めてくれる人が現れたら、喩えその人が受け入れてくれなくても、ラクになれる。」的なフレーズがありました。


 


あ、これ。


これ、私が5、6年前に感じたことと全く同じだ。と思い出しました。


私は、あの出来事があったから、救われたのです。

それまであらゆる面で自分の事が赦せなかったけれど、ちょっと許せるようになった。
彼が、ミケちんが、私の事を受け入れなかったけど、ぜんぶひっくるめて受け止めてくれたから。


あの時はわたしは「自己受容」出来たのだと思います。


あの日、彼ははっきりと言葉に出して言ったのです。
「沢村さんのことは好きです。だから、受け入れることは出来ないけれど、受け止めることはできる」と。
あの時、若干24歳ですよ。たぶん。
彼は、まだ若かったのにもうそのことを判っていたんでしょうか。恐ろしい子!(笑)


ふだん、自分の感情はなるべく口に出さないようにしてる子が言ったから、あぁ、これは本当の気持ちなんだろうな。そこに、嘘偽りはないんだって、判る。と感じました。
彼は、私が掴んだ腕を、振り払おうとはしませんでした。
ただ、されるがままで、じっとしていました。
それは、言葉で言うよりも重く、受け止めてくれている、と感じたのです。そして、受け入れてはくれないんだな、とも判りました。


よく考えたら、これと同じことを、わたしもわたしに関わった男の子たちにしてきました。
わたしも、彼らのことを拒絶したり振り払ったこと無いんですよね。
でもよく考えて。あなた自身が。今後、どうしたいかを。
と、掴まれた腕や押し倒された状態のまま、聞いていたのですよ。


これは、けっこう心理的に堪えます。


 


恋が、無意識の内に心の穴から湧き出た弱さや自分に無いものに反応し、それを相手の心の穴で補おうとする行為なのだとしたら、私が彼に恋心をいま持って居ない理由がはっきりします。


だって、いまのわたしは彼で何かを補おうとは思っていません。
ときめきもドキドキ感も何もなくて、側に居たいわけでもない。
だから、恋とは違う。でも、間違いなく大好きなんです。彼が、独り身の独身でも、喩えば結婚しようとも、誰かに恋していようとも、どんな状態であっても。
それって、受容しているってことに、近いんじゃないかと、思います。


わかりやすく言うと、愛、ですよ。


愛は、なにも恋人や家族や夫婦の間にだけあるものではありません。
当たり前のことだけど。
それがはっきりして、なんだか清々しいです。


 


それを、いつか本人にも伝えたいなぁ、と思います。
わたしに「自分を許すこと」を教えてくれた偉大な彼も、彼自身は自分のことは判らなくてもがいているんですからね。
恋をしたいし、していないという私が彼と一緒に居てもいいなぁという気持ちも理解出来ない、と仰っていました。
伝わるだけうまく言葉に出来る自信は、無いですけどね。


 


そういう意味ではわたしは運が良かったんだと思います。
二十代半ばという、割と早い段階で自分を受け入れてくれるひとに出逢えた。
恋愛はしなかった20代だったけれど、人生で大切なものを人から教われた。
これは、大きな財産です。


いくら口で言っても、こういうのは実体験が無いと真に府に落ちないもんです。
だから私は、身近にそういう異性が居てくれて運が良かったのです。


そういう、いろんなことに気付けた、とても糧になった本でした。



・・・・・



とまあ、非常に感銘を受けた事実はあるわけですが。

たぶん、そう思えるこころの準備と傾向が自分に備わって来たから手に取ったし、読み始めたんだと思います。
その自分の決意や考えの変化を、後押ししてもらうために。


まだ迷っている時期には、自分の中で明確な答えが定まっていない時期には、他人の考えに影響されて混乱したくないですからね。

なんとなく、判って来た時に、自分でその考えが合うか合わないか判断できるようになった時に、後押ししてもらう目的で本を読んでいるような気がします。

いつも。

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30代女性×10代男子、な恋愛モノにはまっています。(まんが)

最近、三十路女と十代後半男子の組み合わせのラブストーリーにはまっています。

そして、意識してそういう設定の話を読むようにしているのは、いま自分が一番書きたいネタのひとつに、31女と19男が中心的に出てくる話があるから、と言うのもあります。
残念ながら(?)このお話は恋愛モノではなく、大人の「将来の夢」を探す、というストーリーなのですが、それはそれ、これはこれ、ということで。


話は戻って、30代女と10代男のラブストーリー。
なんでそこに需要があるのか、というと、たぶん、将来とか打算とか抜きにして、純粋に恋愛にのめりこめるから、なんだと思います。私もたまにうんと年の離れた若い子と恋愛したいな~と思うことがありまして、それの一番の理由はそこだからです。
結婚のこととか、社会的地位とか、年収とか、体裁とか抜きにして恋したい、って感覚。あと、若い子相手だと、相手には「過去の恋愛の影」が無さそうで、自分のことだけを一番すきになってくれそうなところがいいですよね!(笑)


有名どころで思い浮かぶのは小説・「人のセックスを笑うな」とかレディコミ・「きょうは会社休みます。」ですが、これはまだ読んだことありません。どちらも映像化されている作品ですね。


「人のセックスを笑うな」はいつか映像も小説も読んでみたいと思ってます。「きょうは会社休みます。」は実は1~3巻くらい読んだことはあるのですが・・・ヒーローポジの田之倉くんがなんか急に大人びていて、せっかくの若者設定があまり活かされていないような・・・と思って、私的には好みじゃありませんでした。
わたしの会社の6つくらい下の若い子たち(24さいくらい。話に出てくる彼女さんは35歳)と飲み行ったりして恋愛相談聞いてる感じよりもずっと田之倉くんの方が態度老けてるぞ?!まだ大学生のくせに!背伸びか?大人の女と付き合ってるから釣り合うように背伸びしてるんか?!と。(笑)



と、いうことで。
最近読んだ2作品の感想です。どっちも手軽に読める巻数でよかった。(笑)
そして、この2作品は対照的なストーリーと設定でもありました。
(注・ネタバレあり。)



夏の前日 /青年コミック/著作:吉田基已

甘く切なくもどかしい、ふたりの長い夏の前日。美大生と和服美人の画廊店長が、激しくもつたない恋愛に突き動かされる――。
ちょっと陰のある芸大生・青木哲生と、和服美人な画廊の店主・藍沢晶。
雨の日、突き動かされるように体を繋げた一夜から、激しくも拙い恋愛が始まる。


このふたりの年齢は実は出てきませんので、青木くんはハタチ越えてるかもしれないし、晶さんは二十代後半とかかもしれません。(てゆうか大学4回生だと21か。)
でも、イメージとしては「三十路女×十代男子」な設定です。私の中では。(笑)


晶さんは美人を自覚していて、自分に気のある大学生・青木くんを誘惑して恋の道に引きずり込むような感じです。
若い子と恋をしようとしたのは、やっぱりたぶん、結婚とか打算を考えたくなかったからで、そういう描写も描かれています。

とにかく会話も少なくお互いがお互いを激しく求めあうような描写が多いのですが、実は童貞だった恋愛初心者の青木くんは、本当はもっと晶さんにいろいろ喋りたかったし、イチャラブなこともしたかったみたいなのに、晶さんがそれをセーブしてしまって赦してくれません。
晶さんが青木くんに求めているのは「孤独を好む芸術家の顔」である青木くんであって、「恋人に甘える年下男子」ではないのですよね。
でもきっと、青木くんはそんなイメージ通りの男子じゃなくて、割と普通のハタチそこそこの男の子なんです。きっともっと晶さんに甘えたかったし、甘えて欲しかったし、自分に恋もして欲しかったし、他の女の子を追い掛けている自分に嫉妬もして欲しかったんじゃないかなぁと思います。
このふたりが恋に溺れているように見せかけて、実はふたりとも全然溺れてなんかいなくって、ずっと遠くの違う場所を見ている、というのがこの作品の特徴だと思います。
青木くんが晶さんと恋人関係のような状態になる前から「他の女の子を追い掛けている」描写はあります。実際に追い掛けているわけでは無くて、たまに見かけるかわいい子が気になる、って感じなのですが、そういうのは晶さんを見ていた時にもあって、彼女に対しては、ちょっと違う感覚なんですよね。いつも行く画廊の店主は自分が美人であることを鼻に掛けていて気に障る、って感じ。でもやっぱり身近にいる美人が気になる。そしていつもチラ見していた所為で、当の本人に目を付けられてしまうのです。(笑)


ラストの切ない感じは好きです。
別れを選択したふたりは、誰かと幸せになるわけでは無くて、別れたことによる恋愛的なメリットは無いのですが。
このふたりの関係が長く続かないのは誰の目から見ても明白だったし、ハッピーエンドな終わり方にはならないのは当然なのですが、でもこの終わり方は理想かもしれない。と思いました。
違うところを向いていたり、上辺だけ求めあっているような関係に見えたけど、それは紛れもない「恋」だった。そう、言い切れるふたりはステキです。





わたしは真夜中 /女性コミック/著作:糸井のぞ

今度、一緒に寝てくれませんか?
図書館司書の夜野とばりは31歳、バツイチ。元夫・日暮久志との間に、聖という息子がいるが、今は一人で暮らしている。一人の生活は楽だと思う一方で、家族との暮らしを続けられなかった自分を、時折責めている。ある日、勤務先の図書館で19歳の青年・池端太一と知り合う。明るい池端だったが、なぜかいつも目の下にクマが出来ていた。そんな池端に、突然「今度、一緒に寝てくれませんか?」と頼まれて…!? 不器用な大人達のラブストーリー。


これ、年齢設定がいま自分が書こうとしている話と一緒で、飛びついた作品です。(笑)
結婚経験はあるけど今はシングルな31女と、学生ではなくって親の作った借金返済のためにバリバリ働いている19男子。
私の好みの設定にかなり近くて、楽しんで読みました。


こちらの話は、19歳青年・池端くんは割と年相応な人懐っこさと、年上と付き合っているんだからしょうがない、という背伸び感がいい感じに出ていて好感を持ちました。
対して、31女・とばりさん。この人の「恋愛なんてクソだ」というどこか諦めと達観した感覚と、結婚経験があっても池端くんと付き合うことを承諾しても、自分は恋愛をしていない、という感じが、すごく、すごく私と似ていて、めっさ共感しました・・・!
元旦那・久志が他の女と寝ていた浮気現場に出くわしたとき、嫉妬も怒りもなく「あ、その人の事好きになったんだね。よかったね、好きなひとが出来て」くらいの感じだったり、池端くんが安眠のためにとばりさんと一緒に寝たいと言い始めた理由を恋心とまったく思わず単なる安眠材料の抱き枕くらいの感覚で思っていた辺りが。
私にも思い当たる節がありすぎて・・・胸に刺さりました。(笑)
こうして客観的に物語を読んでいると、判るんですけどね。
池端くんがいちゃいちゃしたくて部屋で寝ずに起きているのに、とばりさんは疲れたでしょ、もう寝ましょう。と彼を寝かしつけようとしたり。
いや、ふつう判るでしょ!確かに働きづめと不眠症で池端くんは性欲とか無さそうに見えるけど、19歳男子なんだから彼女と一緒に寝ていてずっとエッチ無しなわけないでしょ!とかね。


私も時効が発生するくらい昔の話ですが、自分のことを散々追い掛けてきてた男子が急に他の女と寝ている現場に出くわしたとき「は?何で今電話出た?居留守使えよ」と言ったくらいで浮気された、みたいな感覚は持ちませんでしたし、性衝動で床に押し倒してきた年下男子に恋心があるかどうかなんて微塵も考えずに「今日一日くらいなら相手するけど、セフレは勘弁」と言い放ったことを思いだしましたよ。
ま、あの人たちに恋心があったかは甚だ疑問ですが、この物語に当てはめると「男側が完全に振り回されていて切ない・・・」となりますね。(笑)


「とばりには判らんよ」「思い当たりも、しないんだから」と言われるとばりさんは、後から冷静になって考えたら、自分が気付かなかったこと──気付こうとしなかったことに気付くのです。

あと、もうひとつお気に入りの場面がありました。
ぐーぐーと睡眠を取って起きた朝。朝日と鳥の声で目覚めた池端くんが、普段不眠症で悩んでいた池端くんが、まともな睡眠とまともな起床を迎えられて、そして隣にとばりさんが(完全着衣で)すやすやと眠っている姿を見て、本当に幸せそうな顔で、ふっと微笑むんです。
それと、そういう朝に起きた後、布団の上でごろごろしながら池端くんがとばりさんの手首を噛んでいる場面で、冷静沈着なとばりさんは「なんでこの人は私なんかと一緒にいるだけなのに、こんな仕合わせそうな表情をするんだろう」と思う訳なんですが。
こういう恋愛ストーリーにはだいたい出てくる、エッチの時の幸せな瞬間、みたいな描写ですが(エッチしてないけど)。恋的なしあわせの瞬間って、あーいうなんでもない日常に一緒に居られる、居てくれる仕合わせなんだろうなぁ、って思うわけです。
あの、ほんわか、うっすらと微笑む池端くんの表情、すごい惚れます。

こういう男子の表情、わたしも見たことあります。
作った営業用のスマイルや、笑おうとして笑ったわけじゃない、ふとした瞬間の、仕合わせな気持ちが内面から滲み出たかのような、やわらかい笑顔。
恋愛はしてないし、彼のあの表情はきっとわたしに対して向けられたわけじゃないけれど。でも、あの瞬間だけは、わたしの顔を見て彼は微笑みました。ふたりだけしかいない部屋で。
あぁ、こういう表情を誰かにさせられるんなら、恋もいいなぁ、と思ったものです。


余談ですが、この物語で実は一番のお気に入りはとばりと久志の息子の聖くん。
8歳ですが、自ら選択して祖母の家に身を置き、両親を名前呼びして距離を置こうとしているところが、これまた自分とかぶって・・・!
ウン、いろいろと共感した部分の多い物語でした。


ラストは、ありがちだけど、案外意外なハッピーエンドでした。
ずっと恋愛できなかったとばりさんも、恋を見付けられた様子だし、良かった良かった。


・・・・・


とまぁ、こうしていろいろ読んで、自分も物語を書くための準備運動をしている感じです。(?)
いきなり長編を書くのがまた尻込み中なので、またまたリハビリのために関連ストーリーのショートショートを書いてます。
次回、アップできるように頑張ります。

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同期とは、トモダチフラグのはじまり ~「マイルノビッチ」(少女まんが)

少女まんが、けっこう読みます。

しかも、アラサーになってから。本当の少女だった時代はまったく読みませんでした。
理由は簡単。お洒落や友情や恋愛に、微塵も興味が無かったから。

きょう、少女まんがの王道ストーリーパターンのひとつである、シンデレラサクセスストーリー系を読みました。
地味少女が、メイクやコンタクトや髪形で変身する、というアレです。
事実はそんな簡単じゃねーよ、ペッと思って基本読まなかった類のあれを、読んでみました。


「マイルノビッチ」 著作:佐藤ざくり

主人公のまいるは女子高生。毒キノコと周りからも避けられて、暗く地味で卑屈でジメジメしたブス子。けど、学園イチの美少年に言われた「ブスを言い訳に使うな」という一言と、男子に落とし穴に落とされたことをきっかけに生まれ変わる決意をして、きれいになって恋をしていく・・・

・・・・という、ある種ありがちなストーリー。
けど、私がこの話の設定でいいな!と思ったところは、その最初に接触した学園の王子と主人公が恋をしないところ。
ふたりは友情を深めていくくけど、あくまでも主人公は別の男子と恋をします。
そして、いろんな人と恋愛をして、恋人になるけど、どの人とも短い!(笑)
イケメン2人に同時に言い寄られて困るシーンとかの描写が、けっこうリアルな心情で書かれていてよかったです。
「まんがとかでこういうシーンよく見たけど、実際なったら全然嬉しくないし、胃が痛くて吐きそう」みたいな感想を主人公が述べてたのが良かった!

まぁ、根暗人生16年だったのに、外見が劇的に変わったとはいえ、超絶卑屈だった子がこんな次々と恋愛できるほど自信もつかなぁ?
とは思いますけどね!(笑)
多少卑屈設定は残っているものの、それよりもけっこう普通の女の子の思考回路にけっこう序盤からなってるしね。
この話読んでて共感したところは、この主人公の卑屈な思考回路でしょうか。


わたしは、昔から人前では結構、自信家で弱みを絶対見せないサバサバ女子、を気取っていて、特に異性の前では割と強気で攻める姿勢とセリフを言う方なんで、同じ見た目ブスでもこの物語の主人公とはけっこう違うタイプです。
よくかまってくる男の子には「何?私の事好きなの?」とか言っちゃう方だし、「好きって言ったらどうする?」って返されたら照れたり一切せずにムスッとした顔で「断る。あんたみたいな子タイプじゃないし」ってあしらってしまいます。
「たいしてかわいくも無いくせに、何でそんな自信?!」みたいに思われているかもしれません。(笑)
でも、内心は結構いつでも卑屈な思考回路です。


マイルノビッチの主人公・まいるも、「こんな私のことなんか好きになってくれるわけないじゃん~」とか「調子に乗ってスミマセン!」とかよく考えているんですが、私がこの子と圧倒的に違うところは、自分を貶めた卑屈じゃなく、相手を信用していない卑屈であるということ。

まいるは、一度は心中で卑屈的に相手を疑っても、それを声に出して本人に言ったりしていない。
ちゃんと全員と向き合っているし、短くてもちゃんと全員お付き合いして相手を見てから結論を出している。
そこが、わたしと違って物語のヒロインとして成立する「女子が憧れる女の子」であるゆえんの「純真でマジメな少女」の要素を持って居る。


わたしの場合はこう。
こういう、私みたいにたいしてかわいくもないオンナに言い寄ってくる男は3種類しかいないと思っているから。
1つは、女と見れば誰にでも声かける、真正の女たらしタイプ。
もう一つは、落としやすそうなちょいブスに声かけてヤれたらいいと思っているタイプ。
最後は、本当に好きなひとに振り向いてもらえないから、代わりになりそうな人を探しているタイプ。

この3パターン以外は絶対にありえない。

そう、喩えば、本当に私の事を好きになったから近付いてきた、みたいな。
そういう方向で考えたことは一度もないし、そもそもそういう考え自体が思い浮かばない。

だから、今まで付き合った人もみなこのどれかだと当てはめていた。
セックスさえできれば満足なんでしょ。
その子の代わりにはなれないよ。
1回ヤれば、飽きて離れてくれるかな。

そんなことを思ってた。

でも、そんなことしてても不毛だし、何より面倒臭いな、と思って、24の時、恋愛自体を放棄した。

それからは、ちょっと言い寄って来たら速攻で門前払い。
告白される前に先手を打って「そんなに毎日連絡して来て、私の事好きなの? わたし、あんたと付き合う気はないよ」と言ってきた。
相手の本当の気持ちなんて、考えなかった。
どうせ、からかってるんだろう、とか、誰かの代わりにしてるんだったらこれで目が覚めるだろう、と思っていたから。

「もし、俺が沢村さんのこと好きだって言ったら、どうしますか?」
この、控えめなセリフを言わせたのは、わたしの態度の所為だ。
このセリフの裏に恋心が潜んでいる可能性なんて、考えたことも無かった。
彼が、どんなに勇気を出して私の家に来たかなんて、考えたことも無かった。



会社の通用門まで迎えに来ていた子も居た。
相談にかこつけて駅で呼び止められて、連絡先を聞かれた。
外でわざとカップルみたいに振る舞ってた彼。
そして最後、妹にするみたいに私の頭を撫でた。4つも年下なのに。


宴会の時、酔った勢いのままみんなの前で「これ飲めたら、僕と付き合ってください!」と言って逃げても逃げても隣の席を確保してこようとした子がいた。
「このあと、ふたりで抜けましょう」「僕の事、遊び人だと思ってるでしょ。確かめてくれたらいいですよ、童貞なんで」などと耳元でずっと言ってくるから、説教したおしてタクシー拾って逃げ帰った。
次の日から彼は、気まずそうにして私とあまりしゃべらなくなった。
たぶん、あのときの彼は、23歳くらいだったと思う。


まだまだ、いっぱいある。
25歳から去年までの6年間、いろんなことがあった。
でも私は誰とも付き合わなかったし、誰とも正面から向き合わなかった。
そういう、気配や空気から、するりするりと、すり抜けて来た。





・・・・・・この人たちがぜんぶ、本気でわたしの事を恋心で見ていたかなんて判らないし、本当に全員、わたしの予想通りの本気じゃないパターンだったのかもしれない。

いまは過ぎたこと。
もう、どうだっていい。
でも、もし本気のセリフだったとしたら、けっこうな数の人を傷付けた。
本気で向き合うこともせず、邪心とみなして蹴散らして笑い飛ばしたり、時には年上の権力で説教までした。

ひとをすきになるって、そういうんじゃ無いでしょ。舐めてるの?


わたしはそう彼らに言ってきた。
言ってきたけど。

違うでしょ。



人を好きになるのって、理屈じゃないんだよ。
何でか、落ちてしまうもんなんだよ。

今考えれば、彼らが私に惚れる要素って、けっこうあったはず。
だって私は、年下だった彼らに親切だった。
仕事が一緒でなくても、調子が悪そうだと必ず声を掛けてた。
それが、ハタチそこそこのとき。みんな、若かった。
それに、比較出来るような女の子が周りに居なかった。

あの時の彼らは、彼らなりに、本気だったかもしれない。



「オネェ、頼まれてたやつ、みんなに連絡しといたけど。明日でいいの?」

オネェ、って。呼び方雑になったな・・・。ってかあたし、あんたの姉じゃないしタメ口だし。
あの時23歳だった彼も、もう28だ。まだ独身だし、女の影も無い。
「はぁ?! あしたじゃねぇよ、昨日だよ! もう期日過ぎてんだよ、早く寄越せ!」
「え?マジ。でも明日ってみんなに言っちゃった。明日まで待ってよ」
「うー、わかった判った。じゃあ明日ね」

業務連絡だけして去って行く彼の後ろ姿に、あ、とわたしは慌てて声を掛ける。

「ナノ! 手伝ってくれてありがとね!」

ナノは振り向かずに、「ん、」と言って軽く右手を上げた。




拍手

その、何れもが正解で。─『セックスレスフレンド』(漫画)

もしかして、今さらですが。
最近気付いたこと。


私、下ネタ話題に赤面するキャラではないのですが。

……男性が、苦手なタイプなのかもしれません。

本当に、今更ながらですが。


しかも、中学生並みの距離感で!!!(>_<)



ここ数年、アラサーと呼ばれる年代になってから、レディコミや少女漫画にどはまりして、胸キュン的ストーリーをいろいろ読んでたんですが、感想は「感動した」とか「恋っていいもんですね」とかいった感じで、どうも「他人事」だったのですよ。
「所詮こんな展開、漫画の中だけでしょ」な類いの白けた系の感想ではなく、なんか、他人事。

そう。「共感」がないんですよね…。

もっと言うと、憧れ、すらないのかも。


そんなこんなでここ数年、いろんな方面から自己分析をしていて、気付いたことが、ソレです。


ひょっとして私、男が苦手なんじゃね?



……盲点でした。



だって、幼稚園くらいの頃から男友達に混じってやんちゃしてきて、学校も理系クラスで男子のが多く、就いた職業に至っては9割が男性の男社会なわけです。


こんだけ男に囲まれておいて、どの口が「苦手」だって?
ふざけるな!!

とバッシングされそうですが。
いや、けっこう、本気です。

女子高育ちの箱入りお嬢様の体験する「男が苦手」「恐怖症」とはちょっとズレたベクトルで、やっぱり同じような感じなのですよ!

更にタチの悪いことに、この手のタイプはそのことに中々気付けない!

その原因は意外に根深くて、まず、普段から平気で日常的に男性と接していることと、そして一番気付きにくくさせてる一番の原因は、周りの男性が本人を女性扱いしてない、という点なのです。


仕事上で男女の区別つけないのなんて、今の世の中当たり前でしょ?…と思われる方がいるかもしれませんが、そういう話じゃないのですよ!!

女性だと認識されてないというのは、ふつう、女性がいたらしないだろ?!とか言わないだろ!!ということを平然とされ、しかもそれに羞恥も背徳も覚えない、という感覚のことなのです。
それは、もちろんこちら側も同じ。
自らはしなくても、例えば隣で下着姿(時に全裸)でうろうろされたり、いきなり着替え出したり、用をたしながら電話掛けて来たり、風俗行った時の失敗談を聞かされたり、自慰行為におけるお悩み相談(真面目系)をされたりしても、とくにお互いに羞恥心が湧かない、というわけなのですよ!!


だから、私のいう「女性扱いされない」というのは、容姿を誉められたり、飲みの席で酌をねだられたり、力仕事を代わって貰ったりすることではないのです。(←いや、これも体験無いがな)



そんな根深い「男が苦手」ゆえに「恋愛に興味すら湧かない」「相手の好意が不気味(不快)に感じる」問題。

その感覚を共有しつつ、共感が得られたストーリーに昨日出逢えたので、紹介します。↓
(一部ネタばれ有り


 
セックスレスフレンド
筧秀隆 著


タイトルが「?」となりつつ、エロ漫画を匂わせるまんがですが、エロシーンはありません。
文字通り、セックス「レス」なお話で、そして、表面的には恋愛モノの体を保ちつつも、主人公ふたりが自分の内面に向き合う物語でした。

一見すると、萌え系の絵柄に、いわゆるお色気シーン満載(パンチラ、胸チラ、入浴シーン多数、など)の、青年誌によくあるサービスカット重視の漫画に見えますが、その実、中身の無い漫画ではありません。
いや、けっこう、深いです。

ストーリー的には、異性にトラウマがあり、異性が極度に苦手な男女が、お互いにその苦手を克服するために協力しあい、成長していく……という、いわば有りがちとも思えるメインストーリーなわけですが。
でも、好感が持てたのはラストが、ありがちハッピーエンドではないところ。
このテのストーリー展開だと、苦手克服のために疑似恋人ごっこをしているふたりが最終的に恋に落ちてくっつく、という展開を予想しがちですが、結論から言うと、そんな甘い展開ではありませんでした。
ふたりの異性に対する意識の改革というか、成長はありつつ、お互いに異性として意識しだす描写もありつつの、恋心に転ばない・・・というか、それを恋心と結論付けない、ふたりのそれぞれの葛藤があります。

恋に流されてしまうのは、はっきし言って、簡単でラクです。
恋心、ってのは魔法みたいなもので、どんな感情も簡単に善い方向に変えてくれて、冷静さを失わせてくれます。
でも、芽生え始めた「その」感情に、ふたりは「恋」という名前は付けなかった。
主人公ふたり──須央くんとヒメ先生、そしてそれを知ってしまった木崎さんの対応に、胸が熱くなりました。
特に、ヒロインのヒメ先生の最後の決断と須央くんに言った言葉は、涙なしでは読めませんでした。

ラストは日常に戻った姿が描かれていますが、これがまた胸にぐっときました。
久々に、感動と共感を覚えた恋愛ストーリーでした。

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