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りそうのせかい改

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イマドキの少年犯罪の手口と、家のない少年たち(本)

私が近頃、長年の構想から重すぎる腰を上げて書き始めたお気に入りの小説作品「カナシミマシン」

どういったストーリーかというと、
小学校高学年ごろから学校に行っていない14歳の家出少年・エンドウが主人公で、暴力と売春と軽犯罪にまみれた生活と、仲間とも友達とも呼べない同士たちとの日常の物語、です。
この話はカンタンに言ってしまうと「不良家出少年たちのアウトローな青春期」。
青春もの・アウトロー・居場所のない孤独感・・・なキーワードが大好物な私の、趣味嗜好を詰め込んだお話なわけですが、いわゆる少年漫画に出てくるような「気持ちよくってかっこいい不良」を書きたいわけではありません。(そういう少年漫画は、それはそれで好物ですが)


昔、私のすぐ隣に居た、友人とも呼べない知人たちの心情と体験を、当時見たTVでやっていた日本のスラム街で暮らす少年たちのドキュメンタリーを重ね合わせながら書けたら、と思い続けていたおはなしなのです。

主人公のエンドウは、チビで女顔で喧嘩が弱くて、いつもへらへら笑っているような男です。
そして、彼ら不良少年たちが暮らすアパートの面子の中では一番年下で一番学のない14歳。
部屋には犯罪業界に片足突っ込んでがっぽり稼いでいる高慢ちきなパク(15)や、触れるものみな破壊する勢いでいかつい顔付きの暴力男シュー(15)や、ギャンブル界で一目置かれている謎多き二枚目のマルさん(17)が住んでいます。
エンドウはそんな中では何もかもが中途半端な存在のはず。やってる金稼ぎはスリや売春。がっつりワルになり切れない、子悪党な、雑魚みたいな感じです。
でも、部屋のまとめ役的存在として書いています。

ここまでは、構想当時の15年前(つまり私が15歳のとき)から決めてた設定です。

で、いま改めてお話をつづるにあたって、新たに考えたことがあります。
それは、エンドウが「部屋の顔」になっている理由。
パクがエンドウを慕う理由、シューが年上なのに弟分に収まっている理由、マルさんが一目置いてくれる理由。
そして、彼らが家を出た、出なければならなかった、本当の理由。

そんな物語の背景を、ノートにつらつらと書き出しながら、彼ら不良少年たちに想いを馳せながら空想しています。今も。




・・・・・



そんなわけで、この本の存在を知って強く惹かれて読み始めました。
ここ半年くらい、私は小説以外のいろんなジャンルの本を読んでいるのですが(小説も読めよ!(笑))、この本はノンフィクションとかドキュメンタリーの類の本だと思います。

先月の半ばごろから読み始めて、昨日読み終えました。
ということで、ちょっと記録を残しておきたくて。↓



「家のない少年たち ~親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル」
鈴木 大介 著
確かに彼らは、生き抜いていた。
詐欺、闇金、美人局、架空請求、強盗――家族や地域から取り残され・虐げられ、居場所を失った少年たちは、底辺の仲間となって社会への「復讐」を開始する。
だが大金を手にしてもなお見つからない、"居場所"。彼らはそれを探し続けるーー。
取材期間10年、語られなかったこの国の最深部を活写する、震撼ノンフィクション。
『モーニング』連載漫画「ギャングース」原案。


この本を読んで一番感じたこと。それは、著者であるライター・鈴木氏の熱い想いです。
彼らのことを、「不良」や「犯罪者」というフィルターではなく、正しく知って欲しい。そして、その背景にある本当の問題に目を向けてほしい。
というような、熱い想いが文章の端々から伝わってきました。

本文中、何度も出てくるフレーズに「犯罪を肯定するつもりはない。彼らは紛れもない犯罪の加害者であり、犯罪が存在する裏側には必ず被害者がいることを忘れてはならない」といった言葉が出てくるのですが、その、著者が本当に伝えたかったことは、充分に伝わってくる本でした。
そして、おそらく「まっとうな大人側」である著者の取材に、なぜ犯罪に両脚を突っ込んでしまっているような少年たちが応じたのか。それはきっと、この著者の熱い想いが彼らに伝わったからだと思います。

この本の中にはあらゆる犯罪市場で暗躍する少年たちや、かつて少年だった若者たちが登場します。
そして、だれもがみな、「居場所」を探しています。
それは、大なり小なり現代人の誰もが一度は悩む悩みと共通していると思います。
何も特別なことなんかじゃない。居場所、帰る場所。それは大人も子供も等しく誰もが一番求めているものだと思います。
そして、被害者のことなんて全然思いやっている余裕もないような彼らが、愛する女性と出会って更生していくパターンも書かれています。
当たり前のことですけど、こういうのは何も物語の中の作り話なんかじゃなくって、ほんとうに起こりうる事実なのですよね。

自分が本当に大事にしたいと思えるものに出会ったとき、人は更生することが出来るんだな。
人間、まだ捨てたもんじゃないな。って思えます。

もちろん、その「愛」に、誰もかれも全員が出会えるわけでは無いのですが。
それでも、この本の中に出てくる少年たちの何人かが、犯罪に手を染めながらも、足を洗ってこの人を幸せにしたい、と思えるような恋や愛に出会えたことは素晴らしいなぁ、と思いました。


・・・ちなみに、この本の大半はこんな生ぬるい美談ばかりを書いているわけではありません。
私が、その部分に感動を覚えた、というだけの話しです。


ところで。
この本の中心に書かれている龍真という少年と、その仲間たち3人がいるのですが。
4人組の犯罪グループのリーダーである龍真はメンバーで一番小柄で喧嘩も強くない。でも彼の口にした言葉は「俺は自分が最弱であることを知っている」というようなことを言うのです。

著者も、ここまで自分のかっこ悪い過去もぜんぶ語ってくれた少年は珍しい、といったようなことを書かれていましたが、龍真の歩んだ人生は世間一般から見れば壮絶で、でも彼ら箱の中の少年たちから見ればありふれていて、そしてまだこっち側の世界に戻れる手綱があったのにその手を振り切って走ってしまったような、そんな少年が書かれています。

彼が「カナシミマシン」のエンドウとちょっとかぶっていてびっくりしました。
え? かぶっているのは4人組の中で一番小柄で喧嘩も弱い人物がリーダー的存在だ、という部分だけですが。(笑)


・・・・・・


私も、過去にいろんな知人・友人からあらゆる「武勇伝とは言えない過去」の話を聞いた経験があります。
彼ら一人一人の人生は、ものがたりとして綴ってしまえば泥沼すぎて、胡散臭くて、真実よりも嘘くさく感じられるような人物ばかりでした。
どうもがいても救いようがなく、世間一般に「戻る」術がなく、世の中は不公平で、この平成の世でこんなに底辺で抜け出す道筋もなく腐敗している人たちがいることなんて、選挙資金を調達できてしまうような政治家には一生伝わらないんだろうな。
なんてことも、しばしば思います。

手の届く範囲のひと、目に映る範囲のひとすら、救うことなんて私にはできません。
でも、話をしてくれた彼らが、私の言葉のどこかに感銘を感じて話してくれたこと。それでお互いの存在意義に意味があったのだということは事実なので、私は彼らと、その事を、忘れないようにこれからも生きて行こうと思います。

腐らずに。

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『吠えても届かない』(映画)

気になる映画が再演されていたので、今日は仕事終わりに初めて十三のシアターセブンに行ってきました。
いつも観に行く映画館・第七芸術劇場の1つ下の階にある、3年ほど前に出来た新しい劇場です。




吠えても届かない
2013年/日本/80分 監督・脚本:マツムラケンゾー

世間知らずの青年が、外の世界に眼を向けた時に眼にしたのは、理不尽、不条理がまかり通る現代社会の歪みだった。
青年・佑司は、道重が経営する居酒屋で働くアルバイト。職場でも私生活でも、外部との接触を極力避けて暮らしていた……
が、ある日、犬を拾った事をキッカケに、紗季という女性と出会う。幼い頃に亡くした自分の母親を思わせる紗季に、母性に飢えながら育った佑司は惹かれていった。 だが、紗季の未来は暗く重い運命に塞がれていて……。佑司の運命をも狂わせて行き、暴力と恐怖に支配される社会の理不尽、不条理に直面する。



観終わった後、いろいろと考えさせられた映画は久しぶりな気がします。(以降、ネタバレ注意)

この映画は、二十歳そこそこの少年・ユウジを主人公に添えて物語が進んでいきます。
(「少年」と敢えて表現するのは、彼が年相応な大人ではないからです)
そして物語の序盤で出会った母親くらいの年齢差のある女性・サキと、犬を通じて仲良くなり、彼は恋愛感情を抱きます。そしてふたりは徐々に距離を縮めていき・・・

タイトルに「吠えても」ともあるし、キーマン的役割で犬も出て来るし、このふたりの物語なのかな?と一瞬思ってしまいますが、実は全然違うということに物語が中盤に差し掛かったころ気付かされます。


道路の片隅に捨てられた犬。
何を言っているのかサッパリ判らない職場のオーナー。
突然倒れる新人料理長。
余命宣告を受けた年増美人の苦悩。
親子ほどの年の差の男女の淡い恋。
逃亡中の殺人犯。
インチキ商品を売りつけることを目的に恋人のふりをして近付く業者の男。
迫りくる警官。
復讐の機会を狙うやくざ。

目に映るものは、本当の姿とは限らない。
この映画では、登場人物の第一印象と本当の人物設定をことごとく裏切ることで、それを観客に判らせてくれます。
世の中は、自分が思っているよりももっと複雑で、不条理な世界に満ちている。
そして、だれもが自分に正直に正しく生きようとしているだけなのに、歯車はどんどんずれて行って修正のしようが無くなるとこまで追いつめられる。

主人公・ユウジは妾腹として生まれ幼くして母に先立たれた辛い生い立ちを持っていますが、立派な分譲マンションの一室を父親から与えられ仕送りを貰いアルバイトだけで生計を立てているような、はた目から見れば世間知らずの坊ちゃんです。
そのことを指摘してくれるのは、サキ。
あなたは不幸なんかじゃないでしょ、というようなことを言われます。
これを見て、私もハッとするものがありました。
はたから見れば、自分は、自分の発言は、どう見えているのか。見られてしまうのか。
客観的に見るのは難しいけれど、いろんな角度の視線を切り取るように描いているこの物語を見ていると、自分の姿を一度客観的に見てみることの大切さも教えてくれるような気がします。

ユウジは人を疑うことを知らず正しいものを貫こうとしただけなのに、それは残酷な刃となって大切なサキのこころを切り裂いてしまいます。

悪者だと思っていた殺人犯は案外いいヤツだったり、警察だと思っていた張り込みの奴らは実際は復讐者だったり、かと思えば命の恩人だと言い出したり。
何を信じればいいのか? 誰が正しいのか?
それを判断するのは自分自身でしかなくて、真実はいつも見かけ上の裏側にあるものなのかもしれません・・・

映画は静かに進みます。静かに、無情に時間は流れていきます。
青春映画っぽく、誰も泣き叫んだりしません。


そう。
叫んでも、幸せに辿り着けないのです。




あのラストは観客側には投げかけたまま終わりましたけど、主人公のユウジから見るとある一定の完結はしています。
どうしようもない不条理の中でもがき続ける大人たちのついた、小さな嘘に救われて。


個人的には、かなり斜め上を行っている居酒屋のオーナー役の佐藤二朗さんの怪演と、ぜんぜん吠えない愛らしいフレンチブルドッグのボンピレオが画面上の癒しを与えるという両極端で、物語全編に彩りを添えていると思いました。(笑)



ボンちゃんが最後、変わらずユウジの側にい続けてくれてよかった。
少し、心が救われました。





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実に久々のファンタジー小説月間。

髪を切ってまいりました。
今、帰りのミスドにPCを持ち込んでちまちまとこの記録を書いてます。

一度短くしてしまうとアレですね。もう中途半端な長さの間が耐えられないですね。
伸びてしまえば縛ったり出来るから楽になるんですが、肩に届くか届かないかくらいの長さの間が中途半端で耐えられません。
すぐ切ってしまいます。特に伸ばしているわけでは無いのですが、すぐ切る所為であまりいろんな髪型に挑戦出来ません。
まぁ、すべての基準はヘルメット脱いだ時になるべくヘンな型が付かない髪型が理想なんですが。(オシャレ全く関係ない理念・・・)



と言うことで、今日は1~2月で読んだ小説の紹介(記録)です。


私は基本、現代ものの小説が好きで、ファンタジー物をほぼ読まないのですが、実に数年ぶり(数十年ぶり?)にファンタジー小説を手に取りました。
きっかけは特になく、たまたまでした。


(以下、少々ネタバレありなので注意してください。)


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黄泉坂案内人
仁木 英之 (著)
タクシー運転手の速人が迷い込んだのは、この世とあのよの狭間を漂う入日村という不思議な村。そこで会った少女・彩葉と共に、速人は迷える魂の「未練」を解く仕事を始めるが……。心にしみこむ物語!

年末にガラポンで当てた金券が余っていたので本屋で見かけて衝動買いした小説です。
たしか、本屋のランキングの棚に並んでいたので、割と売れてる作品なんでしょうか?
何に惹かれたのかというと、漢字だらけのタイトルと可愛い妖怪のイラストにタクシー運転手の主人公×少女、というところでしょうか・・・。

三人称で描かれる小説というのはたくさんあるわけですが、私はちょっと苦手なのかもしれない、というのがこの小説を読み始めた最初の方に思ったことです。

理由は、主人公がちょっと中年に差し掛かった男性で妻子持ち、職を失い妻に逃げられ・・・といった私が共感しにくい設定、というのもあったんだと思いますが、このお話の設定で「ナトリという妖怪に名を奪われる」というシーンが割と序盤にやってくるのです。
主人公の速人はナトリにさっそく名を奪われてしまい、「この世」で自分の存在が消えてしまい居場所を失くしてしまうんですが・・・三人称で描かれている地の文章ではずっと「速人」と彼のことを呼んでいるんです!!!

もー、私はそこが気になって気になって、世界観に入り込むタイミングを失敗してしまいました。(笑)
そんな細かい事気にせずストーリー展開に集中しろよ!って思われるかもしれませんが、終始そのことが気になって集中できず・・・クライマックス間近まで来てしまいました(笑)

このお話は何話か分に分かれていて、大筋の流れに沿って物語は進んでいるんですが、連作のような感じで各話毎に違う中心人物が出て来て、主人公たちが彼らに関わって彼らを救っていく・・・というパターンなんです。

そのパターンを3回も繰り返したら、読者としては勝手に次の展開や終焉の迎え方を予想しながら読んでいくことになります。
半分ぐらい読んだところで、私は「どうせ主人公はこの不思議な世界での仕事を終えて、彩葉ちゃんの協力でナトリに奪われた名も返してもらって、この世に戻って来るんだろうな。そんでもって、逃げられた妻と子も戻ってきてめでたしめでたし・・・というエンドを迎えるんだろう。先が読めるわー」と、舐めきった態度で読み進めていました。

が!

その舐めた展開はことごとく裏切られ、最後は意外な結末に。
本当に、本当に意外過ぎる展開が持ってこられました・・・!
完全に騙された! やられた! 作者め!(いや、誰も騙してないよ・・・)

誰がこんな終焉を予想したでしょう。
作者はこの展開を通して、何が言いたかったんだろう?
速人は、何処に希望を見出せばいいんだろう・・・。

そんなことを考えさせられた、ラストでした。

この終焉の迎え方、鈴木清剛・著の青春小説『男の子 女の子』を思い出します。
『男の子 女の子』も、予想もしなかった人物が突然の展開を見せて最後はプツリ、と終わるのです。
まるで、平凡で淡々とした幸せに甘んじていてはいけない、と言われているかのように。

淡々と、パターンを踏んで繰り返されていく日常の展開。
最後はそのまま、典型例を踏んで穏やかな形で終わるだろうと読者に思わせておいて、まさかの不意打ちの空虚。

そう、空虚感です、これは。


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時の魔女アイリス
高瀬 涼(著)
何かを忘れたい、魔女に会いたいと願えば訪れることのできる『忘却の館』
そこにいるのは美人だがどこかだらしない眠たげな目の魔女と彼女に惚れているという青年スペル。
魔女、アイリスはその人が忘れたいと願う過去を自分の中に移すことができるがそれは同時に自分の中に嫌な過去を持つことになる。それでも彼女は人の過去を背負っていく。『忘却の館』からは 一歩も出ることができないアイリス。人の苦い記憶を除くことだけがこの館にいる時の仕事だ。

このお話はネット作家さんである高瀬涼さんの作品。
私は高瀬さんと創作仲間として親しくさせていただいています♪
この作品は高瀬さんのサイトでも公開されていますが、私は秋に一緒にイベントに出店した際に紙の製本にしたものを購入したので、そちらで読みました。

私、ファンタジー物を普段読まない人なんですが、その理由のひとつに「世界観に着いて行けなくなる恐れがあるから」というのがあります。
お芝居でも映画でも小説でも、ファンタジー作品、となると観る前にちょっと構えてしまうところがあるのですね。果たして私の好みの世界観かどうか? 展開が、読者を置き去りにして勝手に盛り上がって行かないかどうか? ・・・みたいな。

結論から言うと、このお話・・・というか設定、かなりグッと来ました。
好みの設定とか云々ではなく、グッと来たんですね。
イメージとしては西洋的な登場人物にそちらの国の童話の中のような風景がふんだんに出て来て、異世界感はたっぷりなんですが、物語のテーマが人の心の内面を静かに、静かに描いている物なので、そちらに引き込まれて読ませてくれました。

異国のおとぎ話の中に出てくるような美しい容姿の魔女が常に物憂げな眸を携えて、広く暗い森の中のお屋敷で、苦悩する人々の記憶を奪うという静かな魔法を、口付けという方法で使うのです。
それも、降り積もる雨の音の中。

その様子は情緒的で、とても美しく、そして哀しみに満ちています。

そんな彼女に関わって来る青年スペルと、少女リリー。このふたりが、ただ悲しいだけの物語ではなく、ストーリーと物憂げな魔女に安らぎを与えています。

この作品もたまたま先述の『黄泉坂案内人』みたいに連作のような形を取っていて、各話のゲスト登場人物に主人公たちが関わって、救ってあげて・・・という展開を毎度行いながら話が緩やかに進みます。
製本の方はサイトで公開されている第一章の部分をまとめたものでしたが、静かに流れるとも流れない止まった時の中で過ごす彼らが淡々と描かれているかと思いきや、後半になって急激に、物語は予想外の展開に転がって行きます。

謎は謎のままでいいのかな、と思っていたあれやこれやが少しずつ片鱗を見せ始めて、そして二章へ続きます。

・・・これは気になる!!!
まだ二章は読んでないのですが、今後楽しみに読みたいと思いました。

気になった方は、高瀬さんのサイトで読めますので、ぜひ! →『猫の独言』


個人的に気に入ったのは、雨のシーンが美しく意味ありげに描かれていたこと。
実は私、現実でも雨がすきなんですが、物語でもやっぱり雨のシーンが印象的に描かれているのは大好物なので、ポイント高かったです(笑)
タイトルに「雨」って単語が入ってたりしたらとりあえず迷わず買う方です。



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いろいろ読んでみるのもいいですね! 普段、刺激されない感性が刺激されます。(*´▽`*)
連続でファンタジー作品に触れた所為で、自分でも15年ぶりくらいにファンタジー作品を描きたい衝動に駆られてしまいました。(笑)
単純。

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落語ざんまい。

宣言通り書きに参りました。(笑)
こないだに引き続き、最近観たもの読んだもの紹介というか記録コーナーです。
今日は、落語。

私、芝居関係の友人はいろいろ・たくさんいて、そんな縁もあって自分でも公演を主催したりしてましたが、そのツテと、たまたま旧友で落語をやっている人たちが居まして。
お芝居を観に行くのと同じ感じで寄席にもたまに行く人です。
12月に噺劇、1月に寄席、そして今月は落語漫画を読んでいて、毎月落語強化月間な近頃です。
ということで、思い出しながら記録きろくー。

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2015.01.25

先月は、実に数年ぶりに、小学校から高校までの同級生だった落語家さん・笑福亭生寿くんの寄席に奈良まで観に行ってまいりました。


ならまち落語会 生寿の部屋スペシャル 生喬一門会

私は新作落語より古典落語の方がすきなんですが・・・その理由としては、昔の町民の生活が垣間見えるところ、昔の言葉を知ることが出来るところ!です。

わたし、TV自体を見ない人なんで落語も勿論ナマでしか見たことがないわけでして、関西に住んでいるので基本、上方落語しか知らないわけですが。
古典落語を聞いていると関西の昔の庶民の暮らしがいろいろと出て来て面白いのですよ!
昔の風習の噺や、価値観、生活ぶりなんかも知ることが出来ます。
昔聞いた落語で知って「へぇ!」とびっくりした言葉のひとつに「凧揚げ」があります。
正月に子供が遊ぶあれのことです。あれを、大坂(大阪)では昔「イカ上げ」と発音してたそうです。びっくりしました。タコにイカかい!と。

話しが随分脱線しましたが、今回の話題に戻りまして。
ということで、生寿さんも古典落語を演る方です。
実は寄席ではなく市民ホールみたいな場所で落語を見るのは、これが初めてでした。
畳やのぼりが揃っていて建物から雰囲気が出ている寄席ではなく、ふつうの市民ホールだと何だかいつものごちゃごちゃ感がなくって、無駄に建物が広いしこざっぱりしてるし天井が高すぎるしで、空間の空き具合になぜかそわそわしちゃいました(笑)

でも、始まってみるとそんな建物やらなんやらの「場所」なんてのは全く関係なく!
大がかりな仕掛けも照明も音響も要らず、何処でも座布団と扇子と手ぬぐいさえあれば成り立つ立派な独り芝居が落語です。
だから場所なんて関係ない!
噺が始まると、ぐいぐい引き寄せられてまるでその手に提灯が、徳利が、お椀があるかのように見えて来るからあら不思議。
今回、生寿くんの師匠の笑福亭生喬さんを初めて拝見したんですが、お師匠なんで当たり前ですが物凄く上手いので、うどん啜ってるシーンなんかは本当にお椀や麺の幻が見えてしまって、何度か目を擦りました!ホントに! 実際に持っているのはお箸に見立てた扇子だけなんですけどね。
生寿くんも何年か前に観に行ったときより確実に幅が広がっていて、独りで演じる数多くの登場人物が全部違う演技で分けられていて判りやすくて、実に面白かったです。
個人的には奉公人のボンと女中さん的なお手伝いの女性のやり取りのシーンが面白かった。
同じ人物が演じる、少年の無邪気な感じと、ずるがしこい年増女の演技が交互に見れるって、こんなの普通のお芝居じゃ見れないですからね! これぞ落語ならでは!(^0^)/

ちなみにこの一門会の開口一番は月亭天使さんという女性の噺家さんがやっていたんですが・・・
ここでちょっと驚いたこと。
生寿くんが噺家デビューしたあたりの時代(約10年前です)は確か落語業界に女性の噺家さんは存在しませんでした。(落語界には全く詳しくない人間ですので、間違ってたらごめんなさい・・・)
てことは、これも時代の流れなんでしょうか?(よくわかんないけど)
男社会に女性の進出が、どんな業界にも少しずつ広まっていますが、遂に伝統芸能にも?!
と、ちょっとわくわく・そしして若干自分にも重ね合わせて共感いたしました。
これからもどんどん頑張ってほしいですね★

ところで、生喬さんが枕のときにおっしゃっていたお話にちょっと驚いたんですが、上方落語と江戸では落語業界のシステムが違うらしく、関西では年功序列的に、先に業界に入った人が一生先輩であって順位が覆ることはないらしいのですが、お江戸の方では位が上がれば後輩でも先輩の上になってしまうらしいのです。(ちゃんと業界用語知らないので素人な書きっぷりですが。)
なんだか外資系企業みたいですね。昨日まで弟分だった人間に明日からアニキと呼ばなければならなくなる、みたいな。人間関係ギスギスしそう・・・。
その点、関西は判りやすくていいですね。アニキはいつまでたってもアニキでいいわけですからね。喩えその人が万年下っ端でも。(笑)
関西と関東で同じ業界でもそんな違いがあるなんて、知りませんでした・・・。
以前読んだ落語の漫画で、業界用語は上方と江戸で結構違う、というのは知りましたけど・・。いろいろと違うんでうねぇ。

落語は、舞台上にはたった一人しかいないのに、しかもその一人も終始座っていて大きな動きはしないのに、大がかりな装置を持った大舞台を観た後にも引けを取らない満足感を最後には運んでくれるので大好きです!

また、近いうちに寄席に観に行きたいな、と思いました。
(ホントは毎月観に行きたいくらいだ!)


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昭和元禄落語心中
著作:雲田はるこ
満期で出所の模範囚。だれが呼んだか名は与太郎(よたろう)。娑婆に放たれ向かった先は、人生うずまく町の寄席。昭和最後の大名人・八雲(やくも)がムショで演った「死神」が忘れられず、生きる道は噺家と心に決めておりました。弟子など取らぬ八雲師匠。惚れて泣きつく与太郎やいかに……!?

1~5巻を読みました。まだ続いている作品です。
前から気になっていた作品でした。掲載雑誌のITANコミックス作品、という点でも気になっていました。
丁度、自分の中で落語強化月間に突入していたので、これを機会に買ってみました。(笑)

タイトルにもある通り、舞台は昭和です。(ここもツボ)
主人公の与太郎(勿論、本名じゃないよ!)が出て来る舞台になっている時代が恐らく1970年代くらいです。(私が生まれるより少し前の感じ・・・)
で、2巻の途中から5巻の途中まで、師匠の若かりし日の物語に突入します。この舞台が、少年時代で戦時中、青年時代で戦後が描かれています。

お話は戦争ものではないので昭和18年あたりの太平洋戦争真っ只中の描かれ方ものんびりしたもんですが、空襲の無かった地域はあんなもんみたいです。大衆娯楽が自粛ムードになり、落語界の危機を迎えるという描写や、色町が無くなるという時代の流れがあったくらいでした。
・・・というのは、私はもちろん戦争体験者じゃないですが、昔一緒に住んでいた明治生まれの祖母や昭和初期生まれの両親に戦時中のエピソードを聞いても、特になし!って感じでしたし。私にはこっちの描写の方がリアル戦時中の庶民の暮らしエピソード、という感じがしました。

話しが脱線しましたが。(ここからまたネタバレ含みますのでご注意!)

本編の主人公・ヨタちゃんは初登場時22歳の若僧。チンピラ稼業から足を洗うためムショでのお勤め帰り。そして大男で声とテンションが高い!
八雲師匠は女系家族の生まれで雰囲気がオネェ系のオッサン。
元ヤンで姐御肌の八雲師匠のお嬢さん・小夏サン。(訳アリ養女。兄弟弟子で元恋人の子供)
・・・という、なんともまぁ個性的すぎるメンバーが中心人物として登場します。

小夏さんは雰囲気がアネゴで、つい慕ってしまう空気を持っていて、文句なしに好きになったキャラです。
で、名前の通りバカ丸出しな感じの(笑)与太郎。大きな仔犬みたいで人懐っこくてかわいいキャラです。

与太郎はムショで落語を聞いて人生が変わるんですが、その感覚は何となく判ります。
私も、初めてナマの落語を見た時衝撃を受けたからです!
(実はそれ、確か中学生時代の生寿くんなんですけどね・・・。確か、文化祭で「寿限無」やってくれました。当時びっくりするくらい上手だった・・・)

見どころは、ずばり落語愛だと思います! 作者さんの演出が素晴らしい!

この作品に出て来る落語のネタ、それを演じている時の各キャラクターの演出が、何とも言えない独特の雰囲気で、すっごくいいんです!!
寄席に行ったことのある人が読めばわかると思いますが、あの独特の空気感が、漫画という紙面ですごくいい感じによく表現されているんですよ。
ただ、キャラにネタを延々喋らせても、漫画的にはそんなに面白くないどころか、つまんなくなってしまうと思いますが、このお話の中にはいろんな人物が落語を演るシーンが割と多くのページを使ってしっかりと描かれていて、どれもキャラの個性が上手く表現されていてネタもまるでナマの寄席のように生き生きと描かれているんです。

そういう、落語好きを(私は特に落語好きを名乗れるほどのもんではないですが)満足させそうな漫画ですが、それだけではなく。
複雑に絡み合った人間関係を、親子世代で代々描かれていて、その辺を読んでいくストーリー物としても大変面白いです。

八雲師匠は少年から青年期で恋はしても最終的には落語を取って、生涯きっと独身で、人生を落語に捧げてしまっている感じで、落語界の会長になる頃のオッサンになるまでを現在は描かれてしまっていますが、5巻の終わりでその人生にも新しい風が吹き始めています。

きっかけはずっと憎まれ口を叩かれてきたお嬢・小夏サンに子供が生まれたこと。
そして、それをきっかけにお嬢が実家である師匠の家に子連れで帰って来て、そしてそして家から一度巣立って行ってた内弟子のヨタちゃんも帰って来て「みんなで家族になろう!」と言ったこと。

小夏の父であり八雲師匠の兄弟弟子だった助六をめぐる因縁を、ヨタちゃんが意外な方法で中和しようとしている姿に、すごい感動しました・・・!
これからどうなっていくのか・・・楽しみですっ!

で、ちょっと落語からは打線しますが、私が与太郎というキャラに目覚めた(惚れた)のは、他でもない5巻のあのシーンです。
アネさんへの、プロポーズのシーンです(*´ω`*)
私、いままでどんな物語のどんなシチュエーションでも、プロポーズシーンに憧れを持ったことは無いんですが、ヨタちゃんみたいな立ち位置の人にこのセリフ言われたら間違いなく落ちるな!!!と、強く思いました。

もう既におもいっきりネタバレしてますが更に詳しく言ってしまうと・・・。
与太郎は真打お披露目前に久しぶりに内弟子時代はずっと住み込みをしていた師匠の家に訪れます。するとそこには家を出ていた師匠のお嬢であるアネさんが帰ってきていて、お祝いの言葉を貰うと同時に、未婚の母になる宣言をされます。
この時点で、ヨタも読者も、小夏ネエさんの腹の中の子の父は誰か見当もつかず・・・。
でも与太郎、いきなりここで「オイラはその子の父親になれねぇか?」と言うのですよ!
これがプロポーズです。
いきなりです。ネエさんも「は?!」って言ってますが、本当にいきなりなんです。
だってそれまで、ふたりの間には恋愛フラグゼロだったんですから。
そして与太郎のいいところは「今ねえオイラ思い付きで喋ってるよ」「アネさんにとってオイラなんか虫以下だし二ツ目の分際でほざく資格もねえ。正直先は何も見えねえ」「けどこの足りねえ頭で考えられる最善の策だ」と正直に言うところ。(ところで、虫以下なの・・・?(笑))
「実は前からアネさんのこと好きだったんだ!これからその子とアネさんのことを支えていきたい!!」・・・みたいなセリフ言われたら、きっと小夏も読者(もとい私)も興ざめだったと思うんですが、思い付きで最善の策だよ!とプロポーズして、今までもずっと一緒に住んできたんだ、夫婦なんてのはそっからだって案外なってみりゃあなれるもんじゃねーの?とか言っちゃえるヨタの懐の広さに乾杯・・・!

アネさんはあんたのそれは同情って言うんだよ。同情はまっぴらごめんだよ。と予想の範疇の返しをしますが、そんなことには全く動じず、自分の意見は曲げず、同情とか愛情でなくてもこれは立派な「情」だ、アネさんはオイラにとっても大事なひとなんだから。と言ってしまえる漢っぷり。


とにかくこの辺りに惚れまくりました!(*´▽`*)


私もこういう感じの憎めない可愛い立場の男の人が、こんなシチュエーションでプロポーズしてくれたらOK出来そうです。
10年くらい一緒にいて、恋愛対象にはお互いなっていなくて、勿論一夜の過ちとかキスとか手つなぎすらしたことのない相手からの、突然のプロポーズ。いいなぁ~★
(理想高過ぎ・・・こんなこと言ってたら一生結婚できないですね。する気ないけど。(笑))

勝手に想像するに、小夏ネエさんはヨタちゃんより5~6歳くらい年上っぽいです。
そして、このプロポーズシーンは与太郎32、3歳のときっぽい。
32歳の男なら、上記のセリフも言えそうだし、そのセリフの真価もありそうですね。(笑)


最後の方、まったく落語関係なくなりましたが、とにかくここにきて主人公フィーバーしたサワムラなのでした。(^O^)



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2014.12.12


噺劇一座の公演

ちょっと去年の話になってしまいますが、毎度恒例、噺劇一座さんの舞台を観に行きました。
この公演はだいたい半年に1回くらいのペースで行われていて、私は何度か観に行っています。
行きだしたきっかけは、私の幼馴染の恩師がこの一座の一員でして、恩師を観に行くんやけど一緒に行く?と誘われたのが始まりでした。
で、1度行ってみるとこれが癖になる面白さでして、「次回公演の案内があったら絶対行きたいからまた教えて!」と言って、それから毎回誘ってもらっています。

この公演、寄席ではないんですよ。ちょっと変わっていて、落語に馴染みのないお客さんにこそ観てほしいと言いますか、落語入門編というか導入篇として行ってみるのにちょうどいい感じの舞台の作りになっております。

最初に、桂九雀さんの普通の落語が一席あり、そのあと、役者さんたち(九雀さん含む)による落語のネタを芝居に起こした演劇、を見せてくれるのです。(最初の落語のネタとは別のお話です)
そして芝居仕立てになったこの芝居でも、落語のルールに従って、大道具や小道具は基本的に扇子と手ぬぐいのみで表現されています。その辺も見どころ。

そして最後に全員によるかっぽれの踊りを見せてくれます。

個人的な見どころとしては、庶民の暮らしを描いたお芝居の中での役者さんたちのしぐさや着物の着こなしというか動作。
この辺がいい感じに時代を感じさせてくれて、音響は三味線と太鼓のみ、照明切り替えは特になし、でも充分に楽しませてくれます。

九雀さん曰く、この舞台は何年もやっているのに毎回半数のお客さんが新規のお客さんで、常連さんや前観に来てくれた人はどうしちゃったんでしょう?(高齢だからお亡くなりになられた?の意)と笑っておられたので、初めて行く人も気楽に見ることが出来ると思います。

私、九雀さんの落語は毎回のこの噺劇一座でしか拝見したことが無いんですが、この方の落語は大変聴きやすく、判りやすくて面白いです。
喋り方が独特過ぎて難しかったり、早口すぎたりする落語家さんも中にはいらっしゃりますが、あくの強い癖はない方だと思います。
そして噺劇にはいつも初心者さんがいらしている、という前提で枕から話をしてくださるので、そういう点で聴きやすい、というのもあるのかもしれません。

ということで、落語を観たことがないけど興味はある、みたいな方!
興味を持たれた方は、ぜひ次回公演、観てみてください★ 超オススメです!


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今日は、ここ3か月間の落語に関する記録でした。
書くだけでも意外と疲れたぜ、ふぅ。emoji





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姫武将ものにハマりました。『花修羅』『ぼんたん!!』(漫画)

何故か急に、姫武将ものにハマりまして。
(元々、時代劇系統はすきなんですけどね。チャンバラよりは主に人情ものに)
先月・1月の内に読んだもの2つの記録と紹介をここに。(ちょいネタバレ含みます)




「戦国美姫伝 花修羅」(カシュラ)
著作:山田圭子

戦国時代、“北の京”と呼ばれ、栄華を誇る越前雪代谷の姫・六花は、琥珀という忍と出会う。そして2人の出会いは戦国の世を動かすことに…!?

全8巻。長すぎず短すぎず、ちょうどよい長さで完結していて読み応え感たっぷり、満足な少女漫画でした。
初登場時の1巻で六花姫は10才くらい、お付きの忍び・琥珀は12才くらいの設定だったと思いますが、3巻くらいで六花15才、琥珀17才くらいに成長していたと思います。
このお話は架空の戦国の姫武将の物語ですが、実際に戦国時代には「姫武将」であった戦の大将の女性が何人も記録に残っていますし、この六花姫も彼女たちをモデルにして描かれているんだろうなぁ・・・と勝手に思いながら読んでいました。

主人公の六花姫は初期の段階で姫じゃなくなり、一旦故郷を離れて旅に出ます。旅先で庶民以下の暮らしや苦労を体験し、成長してから地元に戻ってきて武将になるのです。
放浪時代に織田信長による比叡山の焼き払いに巻き込まれたり、その後武将になってから実際に信長に会ったりもして、史実もちょくちょく挟みながら物語は展開していきます。
少女漫画ですが、六花ちゃんが元々わんぱく過ぎて(お転婆、なんて可愛いもんじゃない。)中盤超えるまで恋愛要素はほぼゼロです。
ヒーロー的立ち位置の異人さんとの混血の少年乱波・琥珀くんの一方的な片想いでずっと続きます。
そして少女漫画お決まりの唇奪われるシーン(キスと言え。)が結構後半にあるのですが、「女」ではなく「武将」として生きている六花は屈辱を受けた様に感じてしまい、怒るのです。
「お前はいま私のことをその辺の女と同じように扱った!」と。
琥珀はすぐに「悪かった。もうしない」と猛反省しますが、そこがちょっと悲しいですね。
でもこのシーン、「あ。これ、なんかすごく判るな。ウン。」と、思ってしまいました。私。
私は戦国時代じゃないですけど、男社会に生きていて、重い荷物を運んだりしている時に仲間(しかも後輩とか)に「持ってあげようか?」的な態度取られたら「一人前扱いされてない!」「バカにされた!」と感じてしまうのですよ。勿論、相手にはそんな悪意はなく善意で言ってくれていることは重々承知なんですけどね。そのあたりの心情に重ね合わせて、ちょっと共感。(笑)

最後は幸せな気持ちにはなれる物語でしたが、多くの犠牲の上にみんなの平穏が成り立っていることが目を逸らさずに描かれていて、結構ツライシーンも多い物語でした。
戦国モノなんでそれで当然だとは思いますが。
個人的に物悲しくかっこよかったヒーロー(ヒロイン)は、乱波のユリ。
琥珀の仲間で腕の立ちそうなまだ幼いくノ一の少女でしたが、死に様が凄まじかったのですよ・・・。
負け戦と判って囮にされた殿戦の最後の夜、彼女は想いを寄せてた琥珀の寝床に逢引きに行くのですが、昔の思い出からあまり仲間を信用できなくなってしまっていた琥珀はそれを拒絶。微妙な空気のまま別れて翌日は勝ち目のほぼない殿戦へ。戦中、負傷した彼女の手を引き離さないという琥珀に、彼のお荷物になりたくないユリは自分でその腕を切り落として彼の背中を押すのです。「きのう言ったことは本当だよ。信じてね」と言い残して・・・。
切なくて、悲しくて。でも、物凄く潔くてかっこよかった!!
こんな戦い方がよくないことはのちに乱波仲間でも議論されている様子が描写されていて、物語の展開的にはとても重要で必要なシーンでした。

個人的に、時代劇もの戦的シーンで好きなのはサムライよりは乱波(忍者)の方が好きな人間なので、両方の戦闘シーンが平等に出てきているのは有り難かったです。

この物語の主人公・六花は「武将」という立ち位置でその役割は一切妥協せず・崩さず、でもいわゆる男装などをするでもなく素性も明かしたまま「女性の武将である」という前提で物語が進んでいるお話でした。
この時代は男女の差よりも身分の差の方が重んじられていたでしょうから、「〇〇城の姫である」という事実があった方が上に登れたんだろう、武芸に長けていれば大将になることも、それは割とありなんだろうな、と思いました。

姫武将×乱波(忍者) という組み合わせに魅力を感じた方は、ぜひオススメ!




「姫武将政宗伝 ぼんたん!!」 
著作:阿部川キネコ 
時は戦国。奥州・伊達家では、長子の梵天丸がすくすくと育っていた。だが伊達家には、近隣諸国に聞かせられない秘密があって……。なんと梵天丸は女の子だったのだ!

こちらは全5巻。主人公は伊達政宗。史実の人物のパロディモノ?!です。
ギャグテイスト満載、でも戦国モノなので戦いのシーンはシリアスです。

梵天丸が女の子なのに男と偽らなければならなかった理由や経緯などが、わりと納得いく解釈で書かれていて面白いです。
そしてこちらの姫もちっちゃいころからわんぱく!そして、エロ小僧!!(笑)
女だけど女たらしで、嫁にきた愛(めご)姫とけっこういちゃいちゃ・ちゅっちゅしていて面白いです。
でもビアンな方という描写ではなく、人とのスキンシップを取るのが好きということで、男にもちゅっちゅして気味悪がられてたり。(笑)
伊達政宗さんは高齢まで生きられた方なので、最終巻はまだ二十歳とちょっとくらい、まだまだ人生の序盤、といったところで終わりますが、面白く読めて良かったです。

名前は有名なお方なのでうっすらとは知っていましたが、今回をきっかけに伊達政宗を知れてよかったですし、今度はふつうの伊達政宗の物語もどっかで探してみてみたいと思いました。
映画でも漫画でもなんでもいいので。


こちらはタイトルに「姫武将」と書かれていますが、作中は女性であることを隠して武将をやっている設定なので、正確には「姫武将」ではない気がします。ふつうに男として生きている、という設定なので。




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姫武将、と言えば木曽義仲の妻「巴御前」ですが、小学校の時に教科書で知った平家物語(でしたけ?)の巴御前の戦闘シーンの描写はめっちゃかっこよくて、すごく頭に残っています。

また、史実の姫武将をモデルにした物語などあれば読みたいですw

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