- 2024/11/25
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現場仕事と仲間のこととか、たまにイデオロギー的なことをつれづれに。 読んだ本、すきな音楽やライブのことだとか。 脈絡無く戯言を書き殴る為の、徒然草。 【2018年、34歳で癌告知受けました。闘病記録つけます】
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本(小説以外)をたくさん読んでます。(主に電車で)
ってか、本、読んでばかりで小説書いてねぇよ。
早く書きたい。(勝手に書けよ)
と、いうことで、ここ半月ほどで読んだ本の記録をここに記しておきます。
(ちなみに本は古本屋で気になるタイトルを一括購入してます。そして読み終わったら売ります。読んだ分だけ置いてたら部屋が狭くなってかなわんので・・・)
※本の内容紹介(薄字部分)は、ネットから拾ったものです。
もういちど親子になりたい
芹沢 俊介 (著)
もし、いまの親子関係に気になるところがあるならば、親子の関係を根底から見直してみてください。子どもをまるごと、受けとめ、シンプルな関係に戻ることで、親子の関係は築き直せます。
子どもが育つためには、「あなたがわたしの子でよかった」というメッセージが必要です。もう遅いということはありません。子どもを、まるごと、そのままに受けとめるだけでよいのです。
苦しんでいる親子のための処方箋。
この本は、養育現場(児童養護施設)からの視点から、一般家庭における教育(養育、とはちょっと違う)について見直してみよう、という観点で書かれています。
初めから「親子」であることに疑問を持たない実親と実子は、血縁関係に胡坐をかいて、互いに親子になろうとする努力が欠けていることが往々にしてあります。
それによって破綻してしまった、または、破綻しかけている親子関係の修復の方法・・・というよりも、親子とは──人と人との信頼関係とは、どのようにして形成されるのか。
そういうことが見えてくる内容だと思います。
ただ、著者の方は作家が本職ではない分、若干文章が読みにくいです。
言いたいことは判るんですが、言い回しがなんか稚拙というか、一般人に判りやすく喩えようとするあまり、逆に表現力に乏しくなっているような・・・
でもまあ、作家さんじゃないし、そこはいっか!
童話ってホントは残酷―グリム童話から日本昔話まで38話
三浦 佑之 (監修)
本書には、西洋と日本を代表する有名な童話・昔話が三十八話収録されています。ただし、みなさんがかつて読んだり聞いたりした話とは、かなり違ったストーリーになっています。それらの話がつくられた当時は、いま伝わっているような、ほのぼのと暖かな世界ではなく、かなり残酷な物語だったのです。有名な童話の原典が、なぜそんなにも残酷であったのかを考えながら、物語を再現していきましょう。
今月、幼馴染たちが出演していた朗読劇で童話を扱っていたので、それの影響もありまして手に取りました。
一昔前に流行った「本当は恐ろしいグリム童話」的なやつの、グリム以外もいろいろある話です。
この本は解説本の体をしていまして、物語の本文の合間に編集者による解説が書かれていて、それを踏まえながら読むことにより二倍楽しめる感じになっています。
解説には、物語が作られた時代背景や、当時のその国の罰則や法律などに触れていて、とても興味深いです。
これらを読んでいてふと思ったことは、昔話に出てくる「姫」と「王子(お殿様)」は、みな一様に同じ行動を取っているのですよね。どの国も。
ちょっと前に読んだ「なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 」という本の中で書かれていた言葉を思い出しました。
恋とは本来、男がするものなのだ。と。
「なぜあなたは~」を読んだ時にはあまり腑に落ちませんでしたが、今回この本を読んで、なるほど納得!!!と思わざるえませんでした。
だって、昔ばなしの中の姫は、誰も王子(お殿様)に恋をしていません!!!
一目ぼれするのも、キスで目覚めさせるのも、結婚を申し込むのも、みんなみんな王子(お殿様)側からの行動です!
唯一、女性側からの恋は「人魚姫」くらいのものです。
しかもこの物語は知られている通り、悲恋の恋、つまり報われません。
あとは、残酷な処遇を受けている登場人物たちと、それを助けもしない主人公、というのが当時の「悪いことをしたやつには罰を」という考えと、実際に行われていた拷問の内容だったというのも興味深いですね。
親の子殺しも、昔は日本を含め、どの国でも貧困ゆえの行動なら許されていたし、敢えて「継母」設定に改訂の経緯で直す必要があったのか・・・と私は個人的には思っています。
だって、昭和初期まで、日本の法律でも親の実子殺しは罪に問われなかったんですからね!(語弊があってはいけないので捕捉しますと、罪が軽く、一般の殺人とは区別されていたということです。しかし、逆は大変重い罪に問われました。子の親殺しは重罪です)
個人的に残酷さよりも衝撃を受けたのは「ラプンツェル」(グリム童話。高い塔の上に幽閉されている少女が、窓から長い長い髪を垂らしそれを登って王子が逢引きに来る話)に性描写と妊娠描写があったことです。
残酷さよりも大層びっくりしました・・・。(笑)
王子よ・・君は姫とえっちするために毎晩会いに来ていたんだね。そりゃそうだよね。納得。(笑)
あとは「ハメルンの笛吹き」(ドイツ民話)。
これ、史実を基にしてるんですね!
130人もの子供が一斉に神隠しにあった町が実際にあったらしいです。
一体何があったのか・・・恐ろしい。
日本の話しからは、「一寸法師」が印象に残りましたね。
一寸法師、マジ意地汚い。ぜんぜん好青年ちゃうやん!!となりました。
姫と一緒になるためには手段を選ばない・・・と言ったら聞こえはいいですが、自分が高貴な姫の身分まで登れない代わりに、姫を犯罪者に仕立て上げて自分の低い身分まで引きずり下ろしたという・・・。姫、そんな一寸法師に振り回されてかわいそう。
こういう昔話では前述のとおり、男の恋心については触れられていても、女の気持ちについてはほぼ触れられていないので、彼女たちは心の底から幸せになったかは判りませんよね。
表面上は王子や殿に嫁いだんだから不自由なく暮らせはしたでしょうけどね。(笑)
君の笑顔に会いたくて
大沼 えり子 (著)
母であり、割烹料理屋の若女将であり、DJロージーであり、そして保護司である大沼えり子。持ち前の明るさで子供たちに真正面から向き合い、共に歩み、子供たちの更生に向けて日夜奮闘している。
本書は少年たちに愛と希望を与え続ける、熱血保護司の熱いメッセージである。
保護司、という完全ボランティアで成り立つ制度を、みなさんはご存知ですか?
犯罪や非行に陥った人の更生を任務としている無償の国家公務員で、社会復帰の手助けをするような仕事なのですが。
私は、自身が中学生くらいの時にTVでこの仕事を知り、ずっと気になっていたのでした。
その、保護司の方のエッセイ風手記?がこれです。
ちなみにこの本は、この方の2冊目の本です。
ちなみに私の中の保護司さんのイメージでは、少年院から出て来た少年たちの社会復帰の支援やカウンセリング的なことをしている。って感じだったのですが、筆者が61歳の方も担当した、とあったので、成人にも保護司はつくんだ!と再発見でした。
本書は、主に少年たちとの関わりを書かれているのですが、少年たちの居場所の無さ、最期に頼るのがせんせい(筆者)だったりということに、悲しい、と書かれている反面、私はある意味彼らはロージーさんというせんせいに出逢えてよかったなぁ、とも思いました。
だって、確執のある両親なんて、頼れるわけないじゃないですか。
私だってそうですし、まだ少年時代の真っただ中である彼らなら、余計にそうです。
そんなときに、絶大な信頼を寄せれる大人が自分の周りにひとりでも存在してくれているということは、本当に励みになるし、生きる気力になるんです。
非行少年たちが、ロージーさんの「大好きだからね」の挨拶に「俺も」とか「判ってる」って答えられる信頼が、嬉しいですね。
この方も作家さんが本業という訳では無いので、文章が若干読み辛く、すらすらとは読めないのですが、むしろその素人感が熱い思いが伝わってきていいのかも、と思いました。
わたしもこの人みたいに必死に向き合い合うことを必要としている子供たちに出会って、力になりたいし、彼らから力を貰い合いたい、と思いました。
刑務所の経済学
中島 隆信 (著)
300円の万引きの後始末にかかる税金は130万円!!
これだけの費用をかければ犯罪者は本当に更生・社会復帰できるのか。
刑務所や少年院の役割を考えたことがあるだろうか。罰を与える施設なのか、それとも矯正するための施設なのか。
そうならば、犯罪抑止力、社会復帰のための施設として、現代の社会にあっているだろうか。またわれわれは、失敗を赦す社会を目指すのか。徹底して排除する社会を目指すのか。それによっても変わってくるだろう。
日本の刑事政策を経済学の立場から鋭く分析し、より合理的な視点で裁判や刑務所のあるべき姿を提言する。
犯罪抑止力として、社会復帰のための施設としての刑務所、少年院の役割を問う。
犯罪系のルポや手記、白書などは結構すきで読むんですが、これは経済学から日本の刑事政策を考える、新しく斬新な切り口で興味深かったです。
いま、まだ全部読み終わってはいないのですが、こういうことを考察する必要は本当にありますよね。
だって、年末年始になると老ホームレスの軽犯罪が増加する、って話は有名じゃないですか。
そりゃ、雪の舞う寒空の下迎える正月より、三食飯付き屋根の付いた場所で寝泊り出来る刑務所の方が極楽ですよ。
個人的には、刑罰の引き上げで犯罪抑止効果が最も上がった身近なものは、飲酒運転関係ではないかと思います。
だって昔はビール飲んで単車で飲み会から帰ってましたが、罰金が一気に30万円に上がってからは1滴でも飲んでたら乗るのが怖くなったし、居酒屋商売は上がったりでバイトクビになったりで、身近に打撃がありました。
刑務所の中に居るのは極悪人だけではありません。
軽犯罪者(窃盗やスリ)も居て、生産を産まない彼らに我々は税金でおまんまを食わしているという事実を忘れてはなりませんよね。
そしてその費用は、生活保護費よりも上回るというのですから、何をどうすれば世の中が合理的な仕組みになるのか、判らなくなります・・・。
東京来てから、通勤が単車ではなく電車+バスに変わったので、貴重な「読書の時間」が確保されるようになりました。
これがなかなか楽しみでして。
転勤してまだ1ヶ月半ですが、けっこういろんな本を読みましたよ。
乗車時間は行き帰り合わせても20分足らずですが、これだけあれば割とたくさん読めますし、かなり気になる本の時は、休憩時間を使って読み進めていたりもします。
ちなみに私は戯曲や小説などの創作物語を自身で書いているくせに、読む本はほぼ小説ではありません。(笑)
今年の初めあたりから、自分の中での数年ぶりの読書熱が再点火しいろいろ読んでますが、小説は2冊程度・・・。
後はだいたい、実用書の類ですね。
片付け関連、朝活、仕事の効率を上げる本、手帖を手作りする本、少年犯罪、親子関係修復の本、子育て法、超勉強法、人生設計、終活に近いやつとか・・・・・そういう類の本を、1ジャンルにつき5冊くらいのペースで読んでいます。
会社でも、本を読むという話になると「どんな本読まれるんですか?」と聞かれますが、あれって何故か小説を前提として聞いてくる方、多いですよね?
みなさんも、経験無いですか?
「ジャンルは何? ミステリー?」みたいな感じで、ハナから小説と決めつけ系で。(笑)
あれ、何故でしょう。
小説読んでる人の方が、読書家の中ではポピュラーなんでしょうか。
「あ・・・小説はあまり読まないんです」と答えた後、じゃあ何読んでるの?と聞かれたら、うまく答えられなくて結構困ります。
実用書系です、片付けの本とか勉強法の本とか・・・と言って、お茶を濁します。
そんな中で、きょう読んだ本は、数年前に本屋で見かけて気になってた本。
昨日、古本屋で見つけたので買って読みました。
ソープランドでボーイをしていました
玉井 次郎 (著)
これは、筆者・玉井さんの体験談の本。
中年になって株にはまり家族に内緒で会社を辞めて投資家になるも2年で失敗し、更にそのあと東日本大震災で職を完全に失い、家のローンだけが残ったときに、月給の高いソープのボーイの求人広告を見て上京し、同僚と同居の寮に住み込みで始めた50歳の新人の物語です。
上下関係に厳しく、だいぶん年下の先輩に理不尽に怒鳴られたり、中年でなくてもキツすぎる労働条件の職場のこと、そんな中で優しくしてくれる泡姫、同居人でもある同僚との家での小宴会、帰省時に再確認した奥様との愛・・・・・など、読み応えのあるエピソード満載です。
ソープの話しですが、主役の目線はボーイなので特にエロや下世話な話は出てきません。
ご本人も最後に「青春」という言葉を使っていますが、まさに納得の内容です。
いくつになっても学べることはあるし、人生のどん底に思えてもやり直しはきく。
そう、思わせてくれる、明るい良書でした。
・・・・・
他人の人生を覗き見るのは興味深くて面白いものですが、私はこのタイトルを見た時にふっと思い出したことがありまして。
わたしの人生に結構な衝撃を残してくれた、学生時代のバイト仲間・同い年の後輩イシハラくん。
彼のことを思い出しました。
イシハラくんは当時私と同じハタチ。
中学卒業してから一家の大黒柱として働いていて、でも職を転々としていたときに、つなぎのバイトでうちの店(コンビニ)に入って来た子でした。
やんちゃな雰囲気だけど、礼儀正しくて黒髪の青年。
バイトに入った経緯は、既にウチの店のバイトで入ってた人からの紹介ということだったのですが、年の違う彼らの共通点は雀荘仲間として知り合ったということ。
イシハラくんは麻雀がてんで弱くてぜんぜん勝てないのに、いつも仲間内に居るらしいです。
でもパチスロでは割と出していて、1日で24万円も勝っている日もありました。
コンビニ在籍中に母を自殺で亡くし、喪主で葬儀をあげたあと遅れて仕事に来たときはびっくりして掛ける言葉もありませんでした。
いつも感情を見せず、人懐っこい愛想のいい顔で真面目に働いていた彼。
職が決まってつなぎのバイトだったコンビニを去った彼ですが、半年後くらいに風の噂でイシハラくんがソープのボーイをしていると聞きました。
その事を、思い出したのでした。
イシハラくんは、元気かなぁ。
結婚して、子供がいて、家族で仕合わせにやっていればいいなぁ。
ソープには、泡姫もボーイも、事情ありな人が集まっているんですね。
最初に言います。
これは、恋愛指南書、ではありません。
女性の社会での生きづらさや、幼い頃に誰もが全員親から付けられている心の穴の存在のことや、娘としての母親との関係などを、「自己受容」する術を解きながら倫理学的に深層心理に迫ってくる本です。
そして、それらを通して、恋の正体が浮き彫りになってきます。
大人になっても何故か人を好きになれない、うまくいっている人生のはずなのに何かが違う、親との確執がいまだにしこりになっている・・・など、あらゆる問題で現代社会で生き辛さを感じているすべての女性の問題がズバリ言い当てられたような内容が書かれています。
作者は男性。彼の職業はAV監督。
あらゆる面で驚く1冊です。
と、いうことで、昨日、読み終わった本の記録と感想です。
なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂)
二村ヒトシ (著)
私は今、恋愛していません。
過去にも、特には恋も恋愛も体験してきませんでした。
なので、この本のタイトルにあるような「愛してくれない人を好きになった」みたいな体験があるわけでは無いのですね。
でも、この、何となくモテ本とは違う、哲学論に発展しそうな空気を匂わせているタイトルと、女性の生き方問題の第一人者たちが絶賛している店頭のポップを見て、興味を持ちました。
しかし。
まさかその時は、この本の内容がここまで恋愛学から離れて家族との関係や社会の仕組みなどに迫ってくる本だとは思いもしませんでした。
予想をはるかに裏切る内容の厚さに、的を得た言葉。
あぁ、そういうこと!
これが私がずっと感じていた疑問だったし、言葉に出来なかったもやもやだったんだよ!
と叫びたくなるような、共感の嵐。
これが、男性著者(しかもそういう研究者ではなく、AV監督)ということにも驚きですが、当事者の女性でないからこそ客観的に見れたのかもしれませんし、本当によく見てらっしゃる。
凄いです。脱帽です。
いま、何かに悩んでいるひとにも、別に悩みが無くても、誰もが僅かにでも抱えている疑問について触れていて、一度ぜひ見てみて欲しいと思える本でした。
ちなみに、私が超長年、恋愛と言うものを避けて来た本当の理由が、ここにはズバリ書かれていて、これが私が感じていた恋愛の矛盾点だったし、踏み入りたくない理由だったんだよ!
と、思ったと同時に、恋愛の正体がはっきりしたら(仮定でも)、別にそれを恐れず受け入れることも出来るかもしれないな。と思うことも出来ました。
その一つが、このフレーズ。
恋愛は、親子関係のやり直し。
私が、ずっと考えていたことで、恋という感情の正体が、子供の頃、親や保護者に当たる人物に愛されなかった部分を補うために、大人になってから異性の誰かにその愛の補完をしてもらうことが恋愛のような気がしてたのです。
でも、そんなのが恋という感情の正体だと知ってしまったら、相手に失礼だし、何よりそれ(恋)をすることは幼稚だと思うでしょう?
だったら、私の「恋の感情と感覚」は世間様のそれに遠く及ばない。まだ私は本当の意味でそれを理解できるレベルに達していない。(もう30越えてるけど)
と、思っていたけど、この本を読んでこのフレーズを見たとき、「恋愛は、親子関係のやり直しである。」とまで言い切られると、あぁ、そうなんだ。やり直しなんだ。てか、それでいいんだ。これって、ふつうのことだったんだ・・・と思えたのでした。
あと、この本には「心の穴」と「自己受容」という言葉が幾度となく出てきます。
「心の穴」は誰もが全員持って居るもので、これは幼いころ、親や親代わりに育ててくれた人によってもれなく全員が開けられているもの。と定義されています。
心の穴、はトラウマとは違います。
その人の弱さも魅力もその穴から湧いてきていて、恋やセックスはその穴に惹かれ合ったり触れ合ったりすることだと。
「自己受容」は、自分をありのまま受け入れること。
心の穴は、どんなに頑張っても一生埋まることのないもの。それを知って、開き直るのではなく、そのまま受け入れることです。
これが結構、誰でも難しいし、今の現代社会の仕組みでは女性はそれがやりにくく、許されない環境になっている、と著者は説いています。
私が、今まで自分に近付いてきた男性陣を一掃してしまっていたのも、この恋と言う感情の原理を何となく知ってしまっていた分、「この人は私を好きになったんじゃない。補いきれない心の穴を補完してくれそうな相手が私だから、それに頼って来ただけなんだ」と思い、しかもそれを隠そうとしている、若しくは自分でも気付いていないその柔らかくて脆い感情を本人たちにズバリ突きつけることによって───つまりは彼らのイタイ部分を突くことによって彼らの優位に立とうとしていたのだ。
と判りました。
勿論それはやさしさでも何でもなく、自分を守るためです。
なんてイヤな女。(笑)
興味深い言葉はまだまだ出てきます。
本には、こうも書かれています。
恋は、今の自分に満足していない人が無意識の内に他人への欲望と言う形に変換されたものだ。
恋のほんとうの目的は、相手を得ることではなく、自分をわかることにある。
この道理が事実なら、わたしや同い年の後輩・ヤーちゃんが恋をしたくならない理由も納得です。(笑)
ある意味、わたしは今の人生に満足しちゃってます。
以前したネットの心理テストでは「あなたは人生の満足度100%! 満足度が満点の人は生きる気力を見失いがちです、気を付けましょう」と出たくらいですからね。(笑)
100点という数字がいい意味だけに使われないことを知った瞬間でしたね、これ!
・・・ちょっと話脱線しましたけど、まぁ要するに、誰かに補完してもらう必要性を感じていないから恋をしたいと思わない、というのであれば、納得です。
しかも、もうこうやってごちゃごちゃ考えることによって、あるていどは自分の事を判った気になっていますからね、わたしは。(笑)
この思考回路が私の感情回路のクセなんだろうな、とも思います。
あと、もうひとつ。
どこかに確か、「自分の事を丸ごと受け止めてくれる人が現れたら、喩えその人が受け入れてくれなくても、ラクになれる。」的なフレーズがありました。
あ、これ。
これ、私が5、6年前に感じたことと全く同じだ。と思い出しました。
私は、あの出来事があったから、救われたのです。
それまであらゆる面で自分の事が赦せなかったけれど、ちょっと許せるようになった。
彼が、ミケちんが、私の事を受け入れなかったけど、ぜんぶひっくるめて受け止めてくれたから。
あの時はわたしは「自己受容」出来たのだと思います。
あの日、彼ははっきりと言葉に出して言ったのです。
「沢村さんのことは好きです。だから、受け入れることは出来ないけれど、受け止めることはできる」と。
あの時、若干24歳ですよ。たぶん。
彼は、まだ若かったのにもうそのことを判っていたんでしょうか。恐ろしい子!(笑)
ふだん、自分の感情はなるべく口に出さないようにしてる子が言ったから、あぁ、これは本当の気持ちなんだろうな。そこに、嘘偽りはないんだって、判る。と感じました。
彼は、私が掴んだ腕を、振り払おうとはしませんでした。
ただ、されるがままで、じっとしていました。
それは、言葉で言うよりも重く、受け止めてくれている、と感じたのです。そして、受け入れてはくれないんだな、とも判りました。
よく考えたら、これと同じことを、わたしもわたしに関わった男の子たちにしてきました。
わたしも、彼らのことを拒絶したり振り払ったこと無いんですよね。
でもよく考えて。あなた自身が。今後、どうしたいかを。
と、掴まれた腕や押し倒された状態のまま、聞いていたのですよ。
これは、けっこう心理的に堪えます。
恋が、無意識の内に心の穴から湧き出た弱さや自分に無いものに反応し、それを相手の心の穴で補おうとする行為なのだとしたら、私が彼に恋心をいま持って居ない理由がはっきりします。
だって、いまのわたしは彼で何かを補おうとは思っていません。
ときめきもドキドキ感も何もなくて、側に居たいわけでもない。
だから、恋とは違う。でも、間違いなく大好きなんです。彼が、独り身の独身でも、喩えば結婚しようとも、誰かに恋していようとも、どんな状態であっても。
それって、受容しているってことに、近いんじゃないかと、思います。
わかりやすく言うと、愛、ですよ。
愛は、なにも恋人や家族や夫婦の間にだけあるものではありません。
当たり前のことだけど。
それがはっきりして、なんだか清々しいです。
それを、いつか本人にも伝えたいなぁ、と思います。
わたしに「自分を許すこと」を教えてくれた偉大な彼も、彼自身は自分のことは判らなくてもがいているんですからね。
恋をしたいし、していないという私が彼と一緒に居てもいいなぁという気持ちも理解出来ない、と仰っていました。
伝わるだけうまく言葉に出来る自信は、無いですけどね。
そういう意味ではわたしは運が良かったんだと思います。
二十代半ばという、割と早い段階で自分を受け入れてくれるひとに出逢えた。
恋愛はしなかった20代だったけれど、人生で大切なものを人から教われた。
これは、大きな財産です。
いくら口で言っても、こういうのは実体験が無いと真に府に落ちないもんです。
だから私は、身近にそういう異性が居てくれて運が良かったのです。
そういう、いろんなことに気付けた、とても糧になった本でした。
・・・・・
とまあ、非常に感銘を受けた事実はあるわけですが。
たぶん、そう思えるこころの準備と傾向が自分に備わって来たから手に取ったし、読み始めたんだと思います。
その自分の決意や考えの変化を、後押ししてもらうために。
まだ迷っている時期には、自分の中で明確な答えが定まっていない時期には、他人の考えに影響されて混乱したくないですからね。
なんとなく、判って来た時に、自分でその考えが合うか合わないか判断できるようになった時に、後押ししてもらう目的で本を読んでいるような気がします。
いつも。