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りそうのせかい改

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たぶんわたしは小説が書きたいんじゃなくて、物語を紡ぎたいだけだ。

最近、仕事とプライベートと勉強でバタバタしていて、結局何も書けていないサワムラです。
ちょっと前から考えてたこと、気付いたことを書き留めてみようと思い、今日はこんな話題。



私は趣味で小学生の頃から小説を書いてきましたけど(たぶん小3の時書いたのが最初)、昔から小説家になりたいと思ったことは一度もなくて、書く作業もさして好きじゃないし、書き終えたときの達成感や充実度なんかもそんなになくって、いうなればちょっと、なんか違うなー。という感じでした。

ハタチの時に初めて完結まで書き終えた中編小説「そこからはじまる」を目に留まった文学賞に応募したところ、1次~3次審査まで通過して最終選考の25作まで残りました、という通知と賞状のような物が届いたこと、翌年にはwebで細々と公開していた短篇小説が新設出版社の編集の方の目に留まり、web作家短編集に掲載しませんか?というお話をいただいて掲載したことが偶然あり、物書き才能が少しだけ備わっている方なのかもな。くらいに思ったのですが、そこから頑張って上を目指してみよう!とか、本格的に小説家目指して次回作に取り組んでみよう!などとは一切思わず、ふつうに仕事に追われて小説すら書かない歳月が流れて行きました。

26歳のとき、幼馴染の友人から「今度芝居をすることになって、オリジナル脚本を書ける人を探しているんだけど、やってみない?」という話を貰い、芝居は観る方専門で携わったことなんて中学までの学園祭レベルまでだったのにも関わらず、新しいことに挑戦するのが比較的すきな質なので「やる!」と言って受けてから、4年間で4本オリジナルの脚本を書き、集まってくれた役者さんやスタッフさんと共に作り上げて上演していただきました。

そしてまた、空白の2年が流れて、現在。
32歳です。


そんな中でも、小学生の時からB5サイズのノートに思いついたネタを書き留めている「ネタ帖」は続いていき、現在通算11冊目を迎えています。

こうやっていて気付いたこと。


わたしは、小説を書きたいんじゃなくって、ものがたりを紡ぎたいんだな。

自分がそのとき誰かに伝えたいテーマをストーリーに仕立てて、誰かひとりでも、心に響いてくれれば、それがいちばん楽しいんだな。
と言うことが判ったのです。

超、今更ですが。

それは、書き上げれば小説でも可能な表現かもしれませんが、わたしはひとり孤独に作品作りをする、という作業が向いていない気がします。

「みんなで一緒に一つのものを作る」みたいな作業がすきなのです。
それが完成したときに、仲間みんなで喜び、感動を分かち合えるから。
打ち上げの、ビールが楽しくて美味しいから。

あの感じがすきなんですよね。

それと、私が脚本家に自分で向いてそうだなー、とやってて思ったことはいくつかありますが、まず、スタッフや役者さんの意見で書き直しをすることが苦痛ではないこと。役者さんの雰囲気や演出の仕方で物語の雰囲気が変わって行くさまが嫌ではなく、むしろ面白くすきなこと。あと、急なキャスティングの変更による書き直しなどが割とスピーディーに出来ること。
観客の年齢層や職種などのニーズに合わせた題材で、商業ベースの感覚を取り入れていること。
が自分なりに思いつきます。
もうひとつ、とっても重要なことは、〆切が明確だと、確実に書き上げられること。(笑)
芝居だと、役者さんも待ってるし、劇場も押えてチラシも作ってるのに、もう後に引けない。ってとこがあるので。
アマチュア作家だと、そういう緊迫感がないため、ダメなわたしは作品を最後まで完成させられない訳です。
飽き性なんで、すぐ飽きちゃう。

誰かとの共同作業という意味では、まんが原作なんかも魅力的な気がしますが、絵がたいして描けないので、原作者向いて無さそうな気もします。

自分の持ってるネタで、あ、これ連載漫画に向いてそう!ってやつは結構あるんですけどね。
難しいですよね。


最近は、職場の後輩に東京は図書館が便利だと教えてもらい、様々な本を借りています。
相変わらず小説は1冊も借りていないのですが、旅行本や建築ムック本やビジネス書など、いろいろタダで借りまくれて満足★

東京の図書館は土日も19時まで開いててめっちゃ便利です。

ゼロからの脚本術―10人の映画監督・脚本家のプロット論
ゼロからの脚本術―10人の映画監督・脚本家のプロット論


ということで、近所の図書館を徘徊してたらこのような本を見付けたので借りてみました。わたしは映画はそんなに見ないのですが、見るときは監督や脚本家から入る方です。
なので、ここに載っている気になる監督さんのページから、現在読み進めているのですが、これがまた十人十色でみんなバラバラのことを言っていて、読んでて面白いです。

要するに、脚本って決まりは無いんだなーって思いますね、改めて。

型にはまったものを作ってもしょうがない。
それって、面白くないから。

最近停滞していた創作意欲の火付けになるかなーと思って借りてみたのですが、なかなかよい刺激を貰えました。

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やってもないのに/RAY

やってもないのにできやしないとか
いいたくないからやるしかないよ
後悔しないよう
自問自答して作るMY ROAD



うーん、響きますね。
RAYくんの「やってもないのに」という曲のサビの部分です。


最近は時間のコントロールをうまくしようと、ビジネス関係の特集記事を読んだり(Associeがお気に入り♪)、時短の方法を考察したりそういった本を読んだりしているのですが。

新しいことを始めたり、計画を理想通りに進めるためには、既存でやっていることを止める勇気が必要とされるそうな。

最もだよ。
だって時間は誰の元にも平等に1日24時間しかない訳ですからね!


これに、記事を読むより少し前に気付いた私は、何を捨てたかというと、自炊を捨てました。


理由は、家事の中で一番手軽に世の中のサービスで賄えるものだったからです。
3大家事と言えば、掃除・洗濯・調理が思い浮かぶと思いますが、この中で自分でやることを止める前提で生活しようとシミュレーションしてみると、以下のようになります。

掃除:ルンバなどの高額家電を購入。
洗濯:クリーニング店に出す。
調理:お惣菜を買うか、外食をする。

どれが一番ハードル低いか言われたら、断然「調理」ですよね!
だって洗濯物を毎度クリーニング店に出す方がむしろ手間だし、掃除もルンバなどでは賄いきれないキッチンや風呂やトイレの掃除はどうすんだ??って考えると、最終的に行きつくのはもしくは、家事代行サービスになるわけですよ。

・・・・安月給のサラリーマンが家政婦雇う余裕なんてあるわけないだろ!!!

って話ですからね。


ま、そんなこんなで時間を確保し、新たなことに挑戦していっているサワムラであります。

で、音楽の話題で始まったくせにやたら生活臭漂う話になって脱線しましたが、休日や夜勤の朝、強制的に外に出て家でダラダラする時間を削減しよう!!作戦のために私が考えた秘策は、レンタル屋でCDを当日返却で借りることです。



ちょっと前の記事では「朝カフェでモーニング。のススメ」みたいなことを書いていましたが、これは相当モチベーションが上がっていないと出来ない行動でもあります。(実は)

頻度で言うと、月に1回くらい。



・・・・・・月に1回しか有効に時間を使える休日が無くて他の休みはダラダラ過ごしてるとしたら、ごっつ勿体ない!!!!
貴重な人生の時間無駄にし過ぎ!!!!!

ってハナシじゃないですか。

なので、その予防策として2つの対策を立てました。
そのうちのひとつが、当日返却でCDをレンタルすることなんです。
これなら、レンタルショップが開店する前の時間には無理やりにでも家を出て返却BOXにインするという目的が出来ますからね。

この利点は、時間に遅れると延滞料金が発生するというペナルティが発生することですが、延滞料金のようなはした金よりも何よりも、店員さんと面と向かって期限の過ぎた商品の受け渡しをしないといけない、という心理的プレッシャーを自分に与えることにあるのです。
ほんとうの目的はココです。



もう一つの方法は、前日に休日の時間単位のスケジュールを予定表に書き出してしまう、というものなのですが、これは別の記事に改めて分けて書きます。(^^)
これもなかなか効果抜群ですよ。


で。
またまた相当話が脱線してしまいましたが、RAYくんです。
ここ数日で、私がその翌日確実に早めの時間に外出までこぎつけるという目的も兼ねて借りたCDたちは、

『はっぴいえんど』はっぴいえんど
『フラカン入門』フラワーカンパニーズ
『銀魂BEST3』アニメ銀魂主題歌集
『ポガティブ』RAY

の4枚。
バラバラなラインナップ。
70年代のクラッシックロックに、老舗ロックに、サウンドトラック(?)に、レゲエ。
はっぴいえんどは「しんしんしん」が聴きたかったのでそれが入ってるアルバムを選んで、フラカンは言わずと知れた名曲「深夜高速」の ♪生きててよかった~ のフレーズが聴きたかったのと、銀魂はいろんなバンド(しかも黒猫とかパンクロックアーティストも多い!)のオムニバス的に聴けるという利点と、RAYは大阪の言葉で紡いだリリックが聴きたかった。・・・のかもしれません。

でも休日の晴れたお昼間に一番似合うのは、やっぱりポジティブなレゲエミュージックだな!!!
と確信しました。(*^^*)

大阪弁でガンガンに向上思考な言葉を聞きまくれるというのは気分上がりますよ♪


レゲエのいいところは、「底辺から向上心を持って上へ這い上がろうとする」精神を漏れなくどのアーティストも唄ってることです。
それは、作り話なんかじゃなくて、マイクを取ってるDJたちのリアルな声が反映されてるからこそ、素直に、ダイレクトに、胸に響くんだと思います。

対して、パンクはネガティブ精神を敢えてさらけ出して唄っているようなものが多いんですが、ここも決して落ちて終わりではなく、希望の光を必ずどこかに盛り込んでくれているのですよね。
「もしも僕がここから去ってしまったら?」
「もう一度仲間として迎えて貰えるのかな?」
「世の中金よ。愛も勇気も平和もすべて金で買えるんだろ?」
「大人になってぼくたちは何を失くした?」
「でも金で買えない時間をおれたちは共有している」
「沈む夕日に何を思う?」
「売られていく家畜は何を思う?」
「未来担う若者たちよ、こんなおれに愛を恵んでくれ」
・・・とまぁ、そんな誰もがもがいているときに一度は頭を過ぎったことがあるようなことを唄って、代弁してくれているわけです。

パンクロックは私のライブ史の中でも10年を超える一番推しているジャンルではありますが、アイドル的な熱狂的(?)な気持ちになることは無いのです。
でも、レゲエアーティストに対しては、個人的にはアイドル的なテンションの上がりがあります。
”キャー!RAYくんっ!!(/ω\)” みたいな気分になりつつ、音源聴いてます。(笑)

ところで、わたしのレゲエアーティストの声の好みは「普通の声の持ち主であるどっちかというと爽やかボイスの兄ちゃんが、メロディーラインに乗せて唄う」タイプがすきなのかもしれません。
昔から好きなCHEHONも、フェスで知ったRAYも、濁声タイプではなく、「普通の声」タイプの人です。


生きる事に意味なんて無くて
感じる「今」が大切だって
気付いた心で走り出せ
自分の為、未来の為

♪ I KNOW / RAY Feat. APOLLO











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凶悪事件のルポルタージュ、3冊。「死刑でいいです」

ここ2週間ほどで読んだ本の記録です。まずは1冊目。

先月読んだ「刑務所の経済学」の参考文献に載っていたため興味を持った「死刑でいいです」を手に取った皮切りに、若者の凶悪犯罪のルポに興味が出て立て続けに3冊読みました。
最初、読み始めた動機は兼ねてより将来やってみたいと思っていた保護司の情報を集めたかったからですが、犯罪者の心理・・・とまで行かなくても、何故事件を起こすことになったのか、の軌跡を知ることは勉強になったと後から思います。




死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人 (新潮文庫)
池谷 孝司   (著)
2005年、大阪で若い姉妹が惨殺された。犯人の山地悠起夫はその5年前、実母を殺し、少年院で矯正教育を受けていた――。山地は裁判で「さっさと死刑にしてくれ」と主張。09年、一切の真相を語ることも、反省することもなく絞首刑となった。享年25。その短い人生でなぜ3人も殺めたのか。彼は化け物か、それとも……。緻密な取材で事件の深層と凶悪犯の素顔に迫る、衝撃のルポルタージュ。

本を手にして、すぐに気付いた。この事件は、よく覚えている。
事件があった2005年、わたしは大阪で幼馴染の友人と2人でルームシェアをしていた。住んでいたのは、風呂は古いタイル張りに風呂桶という、ボロアパートの1階。
変わった人が多く住むコーポで、玄関扉が壊されたり、割れた窓ガラスが散乱しているなんて、よくある出来事だった。
事件は、そんな年に起こった。場所は同じ大阪府内。被害者は同年代の一緒に住んでい居た女性2人。自分たちと似通った状況だったため、ニュースで聞いたときは戦慄した。
しかも、まだ犯人は捕まっていないその翌日に、私の同居人はカギを掛け忘れて出勤し、先に帰宅した私は空いたままの玄関に散乱した部屋の有様を見て真に怯えたのだ。(もちろん帰宅した相方に説教したのは言うまでもない・・・)
この事件をきっかけに、わたしも日頃の防災意識を高め、自宅の玄関扉を開ける時には後ろを振り向いて、誰も付いて来ていないことを確認し、忍者のように素早く家の中に入ってカギを掛ける前にロックをし、それからカギを掛ける様になった。この習慣は、10年間続いている。
(被害者は、帰宅時に玄関のドアを開けた瞬間に押し入られ、すぐに切りつけられている。)

そんな事件のルポ。
犯人が私たちの同年代だったことは、当時のニュースで記憶していたが、その背景や判決を受けたその後、死刑が執行されていたことも、この本で知った。

まず、読後いちばんに思ったことは、犯人の25年間の人生が、見事に救われないものだったこと。
もちろん、いちばんの被害者は何の接点も関わりも無かったのに殺された被害者の姉妹の方々で、その点においての犯人への同情などは皆無なのは確かだけれど。
このひとの人生は、ほんとうに、非常に、やるせない。
父のアル中に家庭内暴力、母のネグレストと夫を見殺しにする姿を見せつけられ小学生で父を看取り、葬儀では誰も悲しんで貰えない。更に、水道を止められるほどの貧困、母の借金癖と男の影、学校でのいじめ、就職の失敗、初体験の相手には別の男が本命に居る始末。
ほんとうに、絵に描いたような、散々な思春期を送っている。
それでも中卒で真面目に働き、家計を助け、彼は頑張っていた。
なのに、それに追い打ちを掛けてたのは、母の存在。苦しい生活の中息子に内緒で借金を増やし、男の影はチラつかせるし、挙句息子の財布から定期的に金をくすね、しまいに彼女との交際に妨害を図る。これで元凶の母親に殺意を覚えない人間の方が少ないだろう。
はっきり言って、この環境で生まれ育って、1つ目の殺人(実母殺害)はある意味どうしようも無かったとも思える。
問題点は、その後の対応。少年院に入った後の更生教育や出所後の支援など、もっとなんとかならなかったのかということ。
幸か不幸か、出所後、身元引受人のいない山地を家庭内に迎えてくれた父の友人宅では、一時期人並みな生活をしている。父の友人、妻、幼い娘、そして彼の4人で生活しているのだ。
幼い娘である子供にも慕われてたということは、この時はきっと彼にとってもいい環境だったに違いないのに、父の友人が紹介した仕事が何でゴト師だったのか。何で、元犯罪者に、犯罪組織に最も近いような職場を紹介してしまったのか。まっとうに生きようとしている少年を、犯罪組織に売り渡してしまったのか。
これが一番の転落のきっかけに思えました。

何で、もっと周りの人は彼に対して誠実に接してくれなかったのだろう、と悔やまれる。
母が、もう少しでも愛情のカケラを見せてくれていたなら。
初恋の相手が、浮気なんかじゃなくて彼だけを見ていてくれたなら。
その2点だけでも救いがあれば、彼はきっと母親を殺さなかっただろうと、思うのです。
そうすれば、後の残虐な姉妹殺傷事件も無かったと思うのです。

個人的な意見を言うと、反省が判らないのならしなくてもいいから、自分自身をもう少しでも大切に思える気持ちを持って居れば、2つ目の事件は防げた気がします。
だって、自分が大切なら、後先考えないような事件は起こさないと思うから。
誰かが彼を大切に思って、その思ってた人の気持ちが、署名運動のような文章化した形じゃなくて、彼に寄り添ってくれた担当弁護士のように、仕事などの関わりの無い立場の人からアプローチがあれば、長い時間がかかってもこころが動いたかもしれない。

この事件の犯人のような、救われない人生を送るこどもがこれ以上増えないように、現代社会に生きる私たちに少しでも出来ることは無いか?と強く思えるルポ本でした。

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衝撃の冤罪事件「でっちあげ」と、魔の14歳と、地域差別についての体験記

通勤が電車になってから更に読書熱に拍車がかかっているサワムラです。

主にエッセイやノンフィクション作品、ちょっと裏稼業の職業体験ルポや生活の実用書などを中心に読んでますが、きょう読んだ本は2003年に起きた事件の真相を暴いたルポです。

タイトルは、「でっちあげ」
そしてサブタイトルに「殺人教師、事件の真相」とあります。

内容を端的に述べてしまいますと、タイトルから想像がつく通り、酷い虚言症のモンスターペアレント保護者につるし上げられてしまったイチ教諭が、マスコミの過熱報道などによって「殺人教師」なるレッテルを貼られてしまったという、冤罪の事件を追っています。




でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相
福田 ますみ   (著)

「早く死ね、自分で死ね。」2003年、全国で初めて「教師によるいじめ」と認定される体罰事件が福岡で起きた。地元の新聞報道をきっかけに、担当教諭は『史上最悪の殺人教師』と呼ばれ、停職処分になる。児童側はさらに民事裁判を起こし、舞台は法廷へ。正義の鉄槌が下るはずだったが、待ち受けていたのは予想だにしない展開と、驚愕の事実であった。第六回新潮ドキュメント賞受賞。


これ、まずタイトルに衝撃を受けると思いますが、私がこの本を読もうと思った一番のきっかけは、自身が小学生時代に、実際に「生徒いじめ」をしていて問題になっていた教師が隣のクラスにいたからです。
奇しくも、この事件と同じ、小学校4年、9歳のときの出来事です。
私の場合は、実際に隣のクラスの教諭が酷い体罰をひとりの児童に集中的に行っていることが、クラスメイト全員に目撃されていて、更には学年の違う全校生徒の見ている前で(学芸会的な行事の時)すら行われていたので、冤罪であるわけもなかったのですが、教頭や校長は保護者の担任交代の署名や教育委員会への訴えなどにも応じず、問題を保留し続けていました・・・。
彼が、登校拒否に陥るまで。


しかし、この事件は全然逆です。
校長も教育委員会も教師の言い分を全く聞き入れず、当教諭を処分してしまっています。
この本は読み進めていくと判るのですが、加害者とされる教師は事実無根の体罰を学年1の問題児の生徒の両親から訴えられ、担任を外され、学校を追い出される羽目になっています。

痴漢の冤罪もそうですが、何もしていなくても事件の犯人に仕立て上げられること、しかもそれがいつ、どんな形で、自分の身に降りかかるか判らないという点では、ほんとうに怖い世の中だと思います。

体罰どころか殆ど何もしていないのに、親が体罰しただの罵倒を浴びせただのわめき散らし、クラスメイトたちはポカン、真実を知っている生徒たちが自分の親に話すも、保護者たちは自分までその厄介な親に目を付けられたらたまらんと口を閉ざしてしまうのです。
誰も見ていない教室で横行される体罰事件をでっち上げられ、全国ネットのニュースに実名まで晒される羽目になった教諭。
教育委員会からも事実確認の無いままの処分。
そして、体罰と言う割にそれが真実じゃないから示談に持ち込みやすい民事事件として裁判にまで持ち込むモンスターペアレント両親。
そして、被告人を無実の教諭でなく市を相手取るという、完全に慰謝料狙いの恐ろしい事件です。(教諭本人に発言権を与えないために教育委員会を訴えている状況)



また、マスコミ報道のずさんさなどについてももちろん触れられていますが、これ。本当に実感しますよ!

私はいわゆる「魔の14歳」と言われた14歳の凶悪犯罪が多発し、少年法の改正のきっかけになった世代の同級生にあたる生まれ年なんですが、私の中学で起きた教師×生徒のバトル事件では、いちばん早く夕刊に記事が上がったA新聞は全くのウソばかり書いてました。
当時世間で流行してたのは「14歳の犯罪」だったため、見だしで目を引こうとすれば少年が悪者になれば話題性があったわけですよ。
真実は、空手2段?と自称する教頭が先に暴力を振るったのに、記事には14歳少年が鉄パイプで教諭を殴り全治2か月!とか出てましたからね。

翌朝の朝刊で一斉報道になったわけですが、クラスメイト達が持ってきた各社記事を比べ読むと、どこも似たり寄ったり。
翌日の夕刊という一番遅く記事を掲載したY新聞には、教師が先に手を出して乱闘に発展したこと、そして最初に手をあげた教頭は一目散に現場から離れていたこと、止めに入った教諭が骨折したことなど、概ね真実が載せられていました。この記者の取材力と慎重ぶりが素晴らしい!

確かに、新聞やニュースなどは速さ勝負の速報が大切です。
でも、スクープだけ狙ってノリだけで記事を書かないで欲しい!!!


私はこの中2の事件以来、新聞報道も案外あてにならない、週刊誌とたいして変わらん。と思い、新聞を買う際には同じ記事を何社か読み比べて、いちばん慎重で真実味のある記事を掲載しているものを買うようにしています。

ちなみに、実家はずっとA新聞を父が絶賛して取っていましたが、わたしはこの事件で信頼を失くしているのでA新聞は読みません。
Y新聞のニュースを今でもよく見ています。記事のバランスも言葉遣いもいいし。

ちなみに、この乱闘事件は刑事事件になったもので少年鑑別所などに同級生が搬送されてしまったわけですが、これまた理不尽なのです!
主犯格は中2・中3の13~15歳だったわけですが、唯一捕まってしまったのはうちのクラスメイトだった14歳のやさしい少年。
乱闘騒ぎで鉄パイプなど振るったのは逃げた3年生と、うちの学年の13歳です。
手を出すわけがない、むしろ廊下で騒ぎを聞きつけて止めに入った14歳が逮捕されるという、信じられない結果に・・・。

全くの無実なのに、明らかに手をあげた13歳は連行されず、側にいた14歳がしょっぴかれるという、子供に大人と警察への不信感を募らせるだけの結果になったわけです。
無実の彼を救うため、何故か彼の親ではなく、友人のお父さん(夜間中学の教諭だった)が校門前で毎日署名活動を始め、わたしも授業を抜け出して運動に参加しました。
もううちのクラスなんかは、ほぼ授業が成り立ちません(笑)
しかし、署名活動もむなしく、彼は鑑別所にMAXの期間滞在し、約1ヶ月ぶりに教室に戻ってきました。彼の第一声は、蔓延の笑みで
「いやぁ~!貴重な体験出来たわ!!」

・・・前向きで明るい子でよかった・・・!(´;ω;`)ブワッ

このIくんは、本当に大人びたやさしさの子でキザさや押しつけがましさゼロで紳士的に女子にもやさしさを振りまいていました。
クラスメイトと言えどもほぼ喋ったことない私にも、進学先に決まった高校が彼の実家の目と鼻の先だと知って、「変質者とか出たら呼べよ!オレ助けに行くから!」とかキュンとすること言ってくれました。



で、どんどん話題は本からズレていってますが。
ちょっと論点がズレるように思うかもしれませんが、この本を読んでて、今更ながらふと、あることに気が付きました。

それは、被差別部落や同和問題のこと。

この本で最大の論点となっているものの一つに、「先生が、アメリカ人とのクォーターである?当被害児童に人種差別発言を繰り返した」などとあるのですが(もちろんこれは事実無根の訴えであると退けられています)、ふと思い返してみると、わたしも昔から、そして今の今でも、出身地域で人柄や印象を差別されてきた人間のひとりであるなぁ、ということです。


はっきり言って、よく知らない人の出身地を自己紹介で語らす、真の目的は何でしょうか。
あれは、ちょっとでも共通の話題などを見出すためのネタのひとつであることが大半だと思うのですが、実際は変な先入観をもたらしてしまう大きな要因にもなっていると思うのです。


今日も、わたしは今一時的に応援に行っている部署の上司に
「ところで、沢村さんはどこの出身なの?」
と尋ねられ、
「大阪市内です」
と答えると、
「大阪の何処?」
と聞かれました。

大阪にゆかりのある人間が、「大阪のどこか?」を追求する理由は、自分の地元や出身学校などの地域に近いかもしれない、そしたら地元話題が楽しめる、などあり判りますが、明らかに大阪をよく知らない人間が、詳細を知りたがる理由は何でしょうか。

ここで、少しでも大阪という土地についての知識のある人間だったら、北の地域名を出せば裕福層で穏やかな人種、逆に南の地名を出せば気性が荒く貧困層の人種、という先入観を持ってしまうはずです。


私は黒髪でノーメイクに近く、おっとりした喋り口調とちょっと幼い対応で、初対面の人の第一印象では「大人しい女性」と見られがちです。
でも、出身地を答えたら、急に見方を180度変えられます。
それは、20年以上前から、ずっとそうなのです。

私は逆にその見た目と本来の性質のギャップを武器に世渡りをして来たようなものですが、はっきり言って、1歩間違えば部落差別のようなもんです。



10歳で奈良の小学校に転校したときも、そうでした。
転校して3、4日目のある日。
体育館の窓ガラスがボールで割られるという事件が発生しました。
その犯人に、わたしは文字通りでっちあげられたのです。
それも、担任教師に。

クラスメイト全員が教室から廊下に出され、生徒たち数名とわたし、担任のみが残る教室で、一方的にわたしを叱りつける教師。

事実無根のこのバカげた騒動に呆れていた私は、やってないのだからすぐに事実が判明し、解放されるだろう。
新しい学校で早々に問題を起こしたくないし。
と、いつになく大人しく一通り教師の叱責を黙って聞いていました。

一通り話し終わったあと、わたしは自分がやっていない旨と、転校して来て数日、体育館の場所も知らない上に、まだボール遊びをするような友人も出来ていないと話したところ、この教師は言ったのです。

「でもお前は東成の出身やろうが。お前がやったに決まっている」

と。
正直、こんなふざけた発言に耳を貸すぼどおバカな児童では無かったので、
「はぁ?何言うとんねん。肩腹痛いわ。常識で考えろや、転校して来て3日の女子がひとりでボール遊びなんかするわけないやろが!」
と詰問調で切り返し、
「他の児童とトラブル起こしたくない自分の身のかわいさで、まだ馴染めてない転校生に罪を擦り付けようとしただけ。見え見え」
と鼻で笑って教室を後にしたのでした。

この事件は後々、同級生女子や一部保護者から英雄扱いされるエピソードになったのですが(笑)、そんなことよりも、転校してきて3日の女子が担任教師に啖呵を切ってる事実の方が、ボール遊びで窓ガラス割るより怖くね?・・・・・って思いますよね、今なら。(笑)
ま、こんなことをするから更に尾ひれをつけて「東成出身コワイ」みたいになったのかもね。(笑)



はっきり言って、こんなことはその後の人生にもずっとついて回っています。
中学でも、高校でも、職業訓練校でも、会社に入ってからも、転勤してきた先でも。

よく知らない人の、東成のイメージは大抵、暴力団組織のある街、日本最大規模のコリアンタウンのエリア、少年院がある、河内弁の横行する文化・・・・などで、いわゆるガラが悪い、イメージを持たれます。(イメージ、であって、事実ではない部分もあります!)

私はそれをどちらかというと逆手にとって利用してきた方ですし、そもそも地元大好きなので地元隠蔽派ではなく明言派なのですが。

でも、出身地を言うと大概みなさんに絶妙な反応を示されます (^_^;)))

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ここ2週間ほどで読んだ読書の記録だよ。

(小説以外)をたくさん読んでます。(主に電車で)
ってか、本、読んでばかりで小説書いてねぇよ。
早く書きたい。(勝手に書けよ)


と、いうことで、ここ半月ほどで読んだ本の記録をここに記しておきます。
(ちなみに本は古本屋で気になるタイトルを一括購入してます。そして読み終わったら売ります。読んだ分だけ置いてたら部屋が狭くなってかなわんので・・・)

※本の内容紹介(薄字部分)は、ネットから拾ったものです。




もういちど親子になりたい
芹沢 俊介   (著)
もし、いまの親子関係に気になるところがあるならば、親子の関係を根底から見直してみてください。子どもをまるごと、受けとめ、シンプルな関係に戻ることで、親子の関係は築き直せます。
子どもが育つためには、「あなたがわたしの子でよかった」というメッセージが必要です。もう遅いということはありません。子どもを、まるごと、そのままに受けとめるだけでよいのです。
苦しんでいる親子のための処方箋。


この本は、養育現場(児童養護施設)からの視点から、一般家庭における教育(養育、とはちょっと違う)について見直してみよう、という観点で書かれています。
初めから「親子」であることに疑問を持たない実親と実子は、血縁関係に胡坐をかいて、互いに親子になろうとする努力が欠けていることが往々にしてあります。
それによって破綻してしまった、または、破綻しかけている親子関係の修復の方法・・・というよりも、親子とは──人と人との信頼関係とは、どのようにして形成されるのか。
そういうことが見えてくる内容だと思います。

ただ、著者の方は作家が本職ではない分、若干文章が読みにくいです。
言いたいことは判るんですが、言い回しがなんか稚拙というか、一般人に判りやすく喩えようとするあまり、逆に表現力に乏しくなっているような・・・
でもまあ、作家さんじゃないし、そこはいっか!






童話ってホントは残酷―グリム童話から日本昔話まで38話
三浦 佑之 (監修)
本書には、西洋と日本を代表する有名な童話・昔話が三十八話収録されています。ただし、みなさんがかつて読んだり聞いたりした話とは、かなり違ったストーリーになっています。それらの話がつくられた当時は、いま伝わっているような、ほのぼのと暖かな世界ではなく、かなり残酷な物語だったのです。有名な童話の原典が、なぜそんなにも残酷であったのかを考えながら、物語を再現していきましょう。


今月、幼馴染たちが出演していた朗読劇で童話を扱っていたので、それの影響もありまして手に取りました。
一昔前に流行った「本当は恐ろしいグリム童話」的なやつの、グリム以外もいろいろある話です。
この本は解説本の体をしていまして、物語の本文の合間に編集者による解説が書かれていて、それを踏まえながら読むことにより二倍楽しめる感じになっています。
解説には、物語が作られた時代背景や、当時のその国の罰則や法律などに触れていて、とても興味深いです。

これらを読んでいてふと思ったことは、昔話に出てくる「姫」と「王子(お殿様)」は、みな一様に同じ行動を取っているのですよね。どの国も。
ちょっと前に読んだ「なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 」という本の中で書かれていた言葉を思い出しました。
恋とは本来、男がするものなのだ。と。

「なぜあなたは~」を読んだ時にはあまり腑に落ちませんでしたが、今回この本を読んで、なるほど納得!!!と思わざるえませんでした。
だって、昔ばなしの中の姫は、誰も王子(お殿様)に恋をしていません!!!
一目ぼれするのも、キスで目覚めさせるのも、結婚を申し込むのも、みんなみんな王子(お殿様)側からの行動です!
唯一、女性側からの恋は「人魚姫」くらいのものです。
しかもこの物語は知られている通り、悲恋の恋、つまり報われません。

あとは、残酷な処遇を受けている登場人物たちと、それを助けもしない主人公、というのが当時の「悪いことをしたやつには罰を」という考えと、実際に行われていた拷問の内容だったというのも興味深いですね。

親の子殺しも、昔は日本を含め、どの国でも貧困ゆえの行動なら許されていたし、敢えて「継母」設定に改訂の経緯で直す必要があったのか・・・と私は個人的には思っています。
だって、昭和初期まで、日本の法律でも親の実子殺しは罪に問われなかったんですからね!(語弊があってはいけないので捕捉しますと、罪が軽く、一般の殺人とは区別されていたということです。しかし、逆は大変重い罪に問われました。子の親殺しは重罪です)

個人的に残酷さよりも衝撃を受けたのは「ラプンツェル」(グリム童話。高い塔の上に幽閉されている少女が、窓から長い長い髪を垂らしそれを登って王子が逢引きに来る話)に性描写と妊娠描写があったことです。
残酷さよりも大層びっくりしました・・・。(笑)
王子よ・・君は姫とえっちするために毎晩会いに来ていたんだね。そりゃそうだよね。納得。(笑)

あとは「ハメルンの笛吹き」(ドイツ民話)。
これ、史実を基にしてるんですね!
130人もの子供が一斉に神隠しにあった町が実際にあったらしいです。
一体何があったのか・・・恐ろしい。

日本の話しからは、「一寸法師」が印象に残りましたね。
一寸法師、マジ意地汚い。ぜんぜん好青年ちゃうやん!!となりました。
姫と一緒になるためには手段を選ばない・・・と言ったら聞こえはいいですが、自分が高貴な姫の身分まで登れない代わりに、姫を犯罪者に仕立て上げて自分の低い身分まで引きずり下ろしたという・・・。姫、そんな一寸法師に振り回されてかわいそう。

こういう昔話では前述のとおり、男の恋心については触れられていても、女の気持ちについてはほぼ触れられていないので、彼女たちは心の底から幸せになったかは判りませんよね。
表面上は王子や殿に嫁いだんだから不自由なく暮らせはしたでしょうけどね。(笑) 







君の笑顔に会いたくて
大沼 えり子   (著)
母であり、割烹料理屋の若女将であり、DJロージーであり、そして保護司である大沼えり子。持ち前の明るさで子供たちに真正面から向き合い、共に歩み、子供たちの更生に向けて日夜奮闘している。
本書は少年たちに愛と希望を与え続ける、熱血保護司の熱いメッセージである。


保護司、という完全ボランティアで成り立つ制度を、みなさんはご存知ですか?
犯罪や非行に陥った人の更生を任務としている無償の国家公務員で、社会復帰の手助けをするような仕事なのですが。
私は、自身が中学生くらいの時にTVでこの仕事を知り、ずっと気になっていたのでした。
その、保護司の方のエッセイ風手記?がこれです。
ちなみにこの本は、この方の2冊目の本です。


ちなみに私の中の保護司さんのイメージでは、少年院から出て来た少年たちの社会復帰の支援やカウンセリング的なことをしている。って感じだったのですが、筆者が61歳の方も担当した、とあったので、成人にも保護司はつくんだ!と再発見でした。


本書は、主に少年たちとの関わりを書かれているのですが、少年たちの居場所の無さ、最期に頼るのがせんせい(筆者)だったりということに、悲しい、と書かれている反面、私はある意味彼らはロージーさんというせんせいに出逢えてよかったなぁ、とも思いました。
だって、確執のある両親なんて、頼れるわけないじゃないですか。
私だってそうですし、まだ少年時代の真っただ中である彼らなら、余計にそうです。
そんなときに、絶大な信頼を寄せれる大人が自分の周りにひとりでも存在してくれているということは、本当に励みになるし、生きる気力になるんです。


非行少年たちが、ロージーさんの「大好きだからね」の挨拶に「俺も」とか「判ってる」って答えられる信頼が、嬉しいですね。


この方も作家さんが本業という訳では無いので、文章が若干読み辛く、すらすらとは読めないのですが、むしろその素人感が熱い思いが伝わってきていいのかも、と思いました。
わたしもこの人みたいに必死に向き合い合うことを必要としている子供たちに出会って、力になりたいし、彼らから力を貰い合いたい、と思いました。






刑務所の経済学
中島 隆信 (著)
300円の万引きの後始末にかかる税金は130万円!!
これだけの費用をかければ犯罪者は本当に更生・社会復帰できるのか。
刑務所や少年院の役割を考えたことがあるだろうか。罰を与える施設なのか、それとも矯正するための施設なのか。
そうならば、犯罪抑止力、社会復帰のための施設として、現代の社会にあっているだろうか。またわれわれは、失敗を赦す社会を目指すのか。徹底して排除する社会を目指すのか。それによっても変わってくるだろう。
日本の刑事政策を経済学の立場から鋭く分析し、より合理的な視点で裁判や刑務所のあるべき姿を提言する。
犯罪抑止力として、社会復帰のための施設としての刑務所、少年院の役割を問う。


犯罪系のルポや手記、白書などは結構すきで読むんですが、これは経済学から日本の刑事政策を考える、新しく斬新な切り口で興味深かったです。


いま、まだ全部読み終わってはいないのですが、こういうことを考察する必要は本当にありますよね。


だって、年末年始になると老ホームレスの軽犯罪が増加する、って話は有名じゃないですか。
そりゃ、雪の舞う寒空の下迎える正月より、三食飯付き屋根の付いた場所で寝泊り出来る刑務所の方が極楽ですよ。


個人的には、刑罰の引き上げで犯罪抑止効果が最も上がった身近なものは、飲酒運転関係ではないかと思います。
だって昔はビール飲んで単車で飲み会から帰ってましたが、罰金が一気に30万円に上がってからは1滴でも飲んでたら乗るのが怖くなったし、居酒屋商売は上がったりでバイトクビになったりで、身近に打撃がありました。


刑務所の中に居るのは極悪人だけではありません。
軽犯罪者(窃盗やスリ)も居て、生産を産まない彼らに我々は税金でおまんまを食わしているという事実を忘れてはなりませんよね。
そしてその費用は、生活保護費よりも上回るというのですから、何をどうすれば世の中が合理的な仕組みになるのか、判らなくなります・・・。


 


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