- 2024/11/25
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現場仕事と仲間のこととか、たまにイデオロギー的なことをつれづれに。 読んだ本、すきな音楽やライブのことだとか。 脈絡無く戯言を書き殴る為の、徒然草。 【2018年、34歳で癌告知受けました。闘病記録つけます】
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ここ2週間ほどで読んだ本の記録です。まずは1冊目。
先月読んだ「刑務所の経済学」の参考文献に載っていたため興味を持った「死刑でいいです」を手に取った皮切りに、若者の凶悪犯罪のルポに興味が出て立て続けに3冊読みました。
最初、読み始めた動機は兼ねてより将来やってみたいと思っていた保護司の情報を集めたかったからですが、犯罪者の心理・・・とまで行かなくても、何故事件を起こすことになったのか、の軌跡を知ることは勉強になったと後から思います。
死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人 (新潮文庫)
池谷 孝司 (著)
2005年、大阪で若い姉妹が惨殺された。犯人の山地悠起夫はその5年前、実母を殺し、少年院で矯正教育を受けていた――。山地は裁判で「さっさと死刑にしてくれ」と主張。09年、一切の真相を語ることも、反省することもなく絞首刑となった。享年25。その短い人生でなぜ3人も殺めたのか。彼は化け物か、それとも……。緻密な取材で事件の深層と凶悪犯の素顔に迫る、衝撃のルポルタージュ。
本を手にして、すぐに気付いた。この事件は、よく覚えている。
事件があった2005年、わたしは大阪で幼馴染の友人と2人でルームシェアをしていた。住んでいたのは、風呂は古いタイル張りに風呂桶という、ボロアパートの1階。
変わった人が多く住むコーポで、玄関扉が壊されたり、割れた窓ガラスが散乱しているなんて、よくある出来事だった。
事件は、そんな年に起こった。場所は同じ大阪府内。被害者は同年代の一緒に住んでい居た女性2人。自分たちと似通った状況だったため、ニュースで聞いたときは戦慄した。
しかも、まだ犯人は捕まっていないその翌日に、私の同居人はカギを掛け忘れて出勤し、先に帰宅した私は空いたままの玄関に散乱した部屋の有様を見て真に怯えたのだ。(もちろん帰宅した相方に説教したのは言うまでもない・・・)
この事件をきっかけに、わたしも日頃の防災意識を高め、自宅の玄関扉を開ける時には後ろを振り向いて、誰も付いて来ていないことを確認し、忍者のように素早く家の中に入ってカギを掛ける前にロックをし、それからカギを掛ける様になった。この習慣は、10年間続いている。
(被害者は、帰宅時に玄関のドアを開けた瞬間に押し入られ、すぐに切りつけられている。)
そんな事件のルポ。
犯人が私たちの同年代だったことは、当時のニュースで記憶していたが、その背景や判決を受けたその後、死刑が執行されていたことも、この本で知った。
まず、読後いちばんに思ったことは、犯人の25年間の人生が、見事に救われないものだったこと。
もちろん、いちばんの被害者は何の接点も関わりも無かったのに殺された被害者の姉妹の方々で、その点においての犯人への同情などは皆無なのは確かだけれど。
このひとの人生は、ほんとうに、非常に、やるせない。
父のアル中に家庭内暴力、母のネグレストと夫を見殺しにする姿を見せつけられ小学生で父を看取り、葬儀では誰も悲しんで貰えない。更に、水道を止められるほどの貧困、母の借金癖と男の影、学校でのいじめ、就職の失敗、初体験の相手には別の男が本命に居る始末。
ほんとうに、絵に描いたような、散々な思春期を送っている。
それでも中卒で真面目に働き、家計を助け、彼は頑張っていた。
なのに、それに追い打ちを掛けてたのは、母の存在。苦しい生活の中息子に内緒で借金を増やし、男の影はチラつかせるし、挙句息子の財布から定期的に金をくすね、しまいに彼女との交際に妨害を図る。これで元凶の母親に殺意を覚えない人間の方が少ないだろう。
はっきり言って、この環境で生まれ育って、1つ目の殺人(実母殺害)はある意味どうしようも無かったとも思える。
問題点は、その後の対応。少年院に入った後の更生教育や出所後の支援など、もっとなんとかならなかったのかということ。
幸か不幸か、出所後、身元引受人のいない山地を家庭内に迎えてくれた父の友人宅では、一時期人並みな生活をしている。父の友人、妻、幼い娘、そして彼の4人で生活しているのだ。
幼い娘である子供にも慕われてたということは、この時はきっと彼にとってもいい環境だったに違いないのに、父の友人が紹介した仕事が何でゴト師だったのか。何で、元犯罪者に、犯罪組織に最も近いような職場を紹介してしまったのか。まっとうに生きようとしている少年を、犯罪組織に売り渡してしまったのか。
これが一番の転落のきっかけに思えました。
何で、もっと周りの人は彼に対して誠実に接してくれなかったのだろう、と悔やまれる。
母が、もう少しでも愛情のカケラを見せてくれていたなら。
初恋の相手が、浮気なんかじゃなくて彼だけを見ていてくれたなら。
その2点だけでも救いがあれば、彼はきっと母親を殺さなかっただろうと、思うのです。
そうすれば、後の残虐な姉妹殺傷事件も無かったと思うのです。
個人的な意見を言うと、反省が判らないのならしなくてもいいから、自分自身をもう少しでも大切に思える気持ちを持って居れば、2つ目の事件は防げた気がします。
だって、自分が大切なら、後先考えないような事件は起こさないと思うから。
誰かが彼を大切に思って、その思ってた人の気持ちが、署名運動のような文章化した形じゃなくて、彼に寄り添ってくれた担当弁護士のように、仕事などの関わりの無い立場の人からアプローチがあれば、長い時間がかかってもこころが動いたかもしれない。
この事件の犯人のような、救われない人生を送るこどもがこれ以上増えないように、現代社会に生きる私たちに少しでも出来ることは無いか?と強く思えるルポ本でした。
通勤が電車になってから更に読書熱に拍車がかかっているサワムラです。
主にエッセイやノンフィクション作品、ちょっと裏稼業の職業体験ルポや生活の実用書などを中心に読んでますが、きょう読んだ本は2003年に起きた事件の真相を暴いたルポです。
タイトルは、「でっちあげ」
そしてサブタイトルに「殺人教師、事件の真相」とあります。
内容を端的に述べてしまいますと、タイトルから想像がつく通り、酷い虚言症のモンスターペアレント保護者につるし上げられてしまったイチ教諭が、マスコミの過熱報道などによって「殺人教師」なるレッテルを貼られてしまったという、冤罪の事件を追っています。
でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相
福田 ますみ (著)
「早く死ね、自分で死ね。」2003年、全国で初めて「教師によるいじめ」と認定される体罰事件が福岡で起きた。地元の新聞報道をきっかけに、担当教諭は『史上最悪の殺人教師』と呼ばれ、停職処分になる。児童側はさらに民事裁判を起こし、舞台は法廷へ。正義の鉄槌が下るはずだったが、待ち受けていたのは予想だにしない展開と、驚愕の事実であった。第六回新潮ドキュメント賞受賞。
これ、まずタイトルに衝撃を受けると思いますが、私がこの本を読もうと思った一番のきっかけは、自身が小学生時代に、実際に「生徒いじめ」をしていて問題になっていた教師が隣のクラスにいたからです。
奇しくも、この事件と同じ、小学校4年、9歳のときの出来事です。
私の場合は、実際に隣のクラスの教諭が酷い体罰をひとりの児童に集中的に行っていることが、クラスメイト全員に目撃されていて、更には学年の違う全校生徒の見ている前で(学芸会的な行事の時)すら行われていたので、冤罪であるわけもなかったのですが、教頭や校長は保護者の担任交代の署名や教育委員会への訴えなどにも応じず、問題を保留し続けていました・・・。
彼が、登校拒否に陥るまで。
しかし、この事件は全然逆です。
校長も教育委員会も教師の言い分を全く聞き入れず、当教諭を処分してしまっています。
この本は読み進めていくと判るのですが、加害者とされる教師は事実無根の体罰を学年1の問題児の生徒の両親から訴えられ、担任を外され、学校を追い出される羽目になっています。
痴漢の冤罪もそうですが、何もしていなくても事件の犯人に仕立て上げられること、しかもそれがいつ、どんな形で、自分の身に降りかかるか判らないという点では、ほんとうに怖い世の中だと思います。
体罰どころか殆ど何もしていないのに、親が体罰しただの罵倒を浴びせただのわめき散らし、クラスメイトたちはポカン、真実を知っている生徒たちが自分の親に話すも、保護者たちは自分までその厄介な親に目を付けられたらたまらんと口を閉ざしてしまうのです。
誰も見ていない教室で横行される体罰事件をでっち上げられ、全国ネットのニュースに実名まで晒される羽目になった教諭。
教育委員会からも事実確認の無いままの処分。
そして、体罰と言う割にそれが真実じゃないから示談に持ち込みやすい民事事件として裁判にまで持ち込むモンスターペアレント両親。
そして、被告人を無実の教諭でなく市を相手取るという、完全に慰謝料狙いの恐ろしい事件です。(教諭本人に発言権を与えないために教育委員会を訴えている状況)
また、マスコミ報道のずさんさなどについてももちろん触れられていますが、これ。本当に実感しますよ!
私はいわゆる「魔の14歳」と言われた14歳の凶悪犯罪が多発し、少年法の改正のきっかけになった世代の同級生にあたる生まれ年なんですが、私の中学で起きた教師×生徒のバトル事件では、いちばん早く夕刊に記事が上がったA新聞は全くのウソばかり書いてました。
当時世間で流行してたのは「14歳の犯罪」だったため、見だしで目を引こうとすれば少年が悪者になれば話題性があったわけですよ。
真実は、空手2段?と自称する教頭が先に暴力を振るったのに、記事には14歳少年が鉄パイプで教諭を殴り全治2か月!とか出てましたからね。
翌朝の朝刊で一斉報道になったわけですが、クラスメイト達が持ってきた各社記事を比べ読むと、どこも似たり寄ったり。
翌日の夕刊という一番遅く記事を掲載したY新聞には、教師が先に手を出して乱闘に発展したこと、そして最初に手をあげた教頭は一目散に現場から離れていたこと、止めに入った教諭が骨折したことなど、概ね真実が載せられていました。この記者の取材力と慎重ぶりが素晴らしい!
確かに、新聞やニュースなどは速さ勝負の速報が大切です。
でも、スクープだけ狙ってノリだけで記事を書かないで欲しい!!!
私はこの中2の事件以来、新聞報道も案外あてにならない、週刊誌とたいして変わらん。と思い、新聞を買う際には同じ記事を何社か読み比べて、いちばん慎重で真実味のある記事を掲載しているものを買うようにしています。
ちなみに、実家はずっとA新聞を父が絶賛して取っていましたが、わたしはこの事件で信頼を失くしているのでA新聞は読みません。
Y新聞のニュースを今でもよく見ています。記事のバランスも言葉遣いもいいし。
ちなみに、この乱闘事件は刑事事件になったもので少年鑑別所などに同級生が搬送されてしまったわけですが、これまた理不尽なのです!
主犯格は中2・中3の13~15歳だったわけですが、唯一捕まってしまったのはうちのクラスメイトだった14歳のやさしい少年。
乱闘騒ぎで鉄パイプなど振るったのは逃げた3年生と、うちの学年の13歳です。
手を出すわけがない、むしろ廊下で騒ぎを聞きつけて止めに入った14歳が逮捕されるという、信じられない結果に・・・。
全くの無実なのに、明らかに手をあげた13歳は連行されず、側にいた14歳がしょっぴかれるという、子供に大人と警察への不信感を募らせるだけの結果になったわけです。
無実の彼を救うため、何故か彼の親ではなく、友人のお父さん(夜間中学の教諭だった)が校門前で毎日署名活動を始め、わたしも授業を抜け出して運動に参加しました。
もううちのクラスなんかは、ほぼ授業が成り立ちません(笑)
しかし、署名活動もむなしく、彼は鑑別所にMAXの期間滞在し、約1ヶ月ぶりに教室に戻ってきました。彼の第一声は、蔓延の笑みで
「いやぁ~!貴重な体験出来たわ!!」
・・・前向きで明るい子でよかった・・・!(´;ω;`)ブワッ
このIくんは、本当に大人びたやさしさの子でキザさや押しつけがましさゼロで紳士的に女子にもやさしさを振りまいていました。
クラスメイトと言えどもほぼ喋ったことない私にも、進学先に決まった高校が彼の実家の目と鼻の先だと知って、「変質者とか出たら呼べよ!オレ助けに行くから!」とかキュンとすること言ってくれました。
で、どんどん話題は本からズレていってますが。
ちょっと論点がズレるように思うかもしれませんが、この本を読んでて、今更ながらふと、あることに気が付きました。
それは、被差別部落や同和問題のこと。
この本で最大の論点となっているものの一つに、「先生が、アメリカ人とのクォーターである?当被害児童に人種差別発言を繰り返した」などとあるのですが(もちろんこれは事実無根の訴えであると退けられています)、ふと思い返してみると、わたしも昔から、そして今の今でも、出身地域で人柄や印象を差別されてきた人間のひとりであるなぁ、ということです。
はっきり言って、よく知らない人の出身地を自己紹介で語らす、真の目的は何でしょうか。
あれは、ちょっとでも共通の話題などを見出すためのネタのひとつであることが大半だと思うのですが、実際は変な先入観をもたらしてしまう大きな要因にもなっていると思うのです。
今日も、わたしは今一時的に応援に行っている部署の上司に
「ところで、沢村さんはどこの出身なの?」
と尋ねられ、
「大阪市内です」
と答えると、
「大阪の何処?」
と聞かれました。
大阪にゆかりのある人間が、「大阪のどこか?」を追求する理由は、自分の地元や出身学校などの地域に近いかもしれない、そしたら地元話題が楽しめる、などあり判りますが、明らかに大阪をよく知らない人間が、詳細を知りたがる理由は何でしょうか。
ここで、少しでも大阪という土地についての知識のある人間だったら、北の地域名を出せば裕福層で穏やかな人種、逆に南の地名を出せば気性が荒く貧困層の人種、という先入観を持ってしまうはずです。
私は黒髪でノーメイクに近く、おっとりした喋り口調とちょっと幼い対応で、初対面の人の第一印象では「大人しい女性」と見られがちです。
でも、出身地を答えたら、急に見方を180度変えられます。
それは、20年以上前から、ずっとそうなのです。
私は逆にその見た目と本来の性質のギャップを武器に世渡りをして来たようなものですが、はっきり言って、1歩間違えば部落差別のようなもんです。
10歳で奈良の小学校に転校したときも、そうでした。
転校して3、4日目のある日。
体育館の窓ガラスがボールで割られるという事件が発生しました。
その犯人に、わたしは文字通りでっちあげられたのです。
それも、担任教師に。
クラスメイト全員が教室から廊下に出され、生徒たち数名とわたし、担任のみが残る教室で、一方的にわたしを叱りつける教師。
事実無根のこのバカげた騒動に呆れていた私は、やってないのだからすぐに事実が判明し、解放されるだろう。
新しい学校で早々に問題を起こしたくないし。
と、いつになく大人しく一通り教師の叱責を黙って聞いていました。
一通り話し終わったあと、わたしは自分がやっていない旨と、転校して来て数日、体育館の場所も知らない上に、まだボール遊びをするような友人も出来ていないと話したところ、この教師は言ったのです。
「でもお前は東成の出身やろうが。お前がやったに決まっている」
と。
正直、こんなふざけた発言に耳を貸すぼどおバカな児童では無かったので、
「はぁ?何言うとんねん。肩腹痛いわ。常識で考えろや、転校して来て3日の女子がひとりでボール遊びなんかするわけないやろが!」
と詰問調で切り返し、
「他の児童とトラブル起こしたくない自分の身のかわいさで、まだ馴染めてない転校生に罪を擦り付けようとしただけ。見え見え」
と鼻で笑って教室を後にしたのでした。
この事件は後々、同級生女子や一部保護者から英雄扱いされるエピソードになったのですが(笑)、そんなことよりも、転校してきて3日の女子が担任教師に啖呵を切ってる事実の方が、ボール遊びで窓ガラス割るより怖くね?・・・・・って思いますよね、今なら。(笑)
ま、こんなことをするから更に尾ひれをつけて「東成出身コワイ」みたいになったのかもね。(笑)
はっきり言って、こんなことはその後の人生にもずっとついて回っています。
中学でも、高校でも、職業訓練校でも、会社に入ってからも、転勤してきた先でも。
よく知らない人の、東成のイメージは大抵、暴力団組織のある街、日本最大規模のコリアンタウンのエリア、少年院がある、河内弁の横行する文化・・・・などで、いわゆるガラが悪い、イメージを持たれます。(イメージ、であって、事実ではない部分もあります!)
私はそれをどちらかというと逆手にとって利用してきた方ですし、そもそも地元大好きなので地元隠蔽派ではなく明言派なのですが。
でも、出身地を言うと大概みなさんに絶妙な反応を示されます (^_^;)))